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2007年1月31日 (水)

頭の良さの計り方

動物と人間を比較するときや、男性と女性を比較するときに、脳の容積や重さを、何CCだとか何グラムだとかといって比較することが多い。しかし、脳がどれだけよく発達しているかどうかを表現するのに、脳の皺のことを云々する。これは、脳の精神、感情その他理性的な活動を司る部分が大脳皮質といわれる部分であるという事実によっている。
人間の脳では大脳皮質、特に新皮質の面積は約2200平方センチメートル、厚さは2.5ミリメートル、ちょうど2つ折りにした新聞紙を2,3枚重ねたくらいだ。そこに含まれる細胞数は140億個にのぼる。このように大きな面積のものを一定の容積に詰め込んだときには、折りたたまれて皺ができるという考え方だ。新聞紙を丸めて小さな箱に詰め込んだのと同じだ。限られた大きさの頭蓋骨の中に、たくさんの脳をいれるにはこうしてくしゃくしゃにしておさめるしかない。
だから実質的には、脳の大きさというのは容積のことをいっているのではない。その表面積を問題にしている。脳はその表面部分にその機能の大部分が存在するという前提にたっている。なのに、脳の大きさを比較するときに、容積や重さを取り上げるのはどういうわけなのだろうか。
脳の容積や重さが問題なのなら、クジラやゾウのほうがよほど頭が良くていいはずだ。クジラの脳は7000g、ゾウの脳は4000gもあるのだから。また、脳の皺が多いからと言って知能が発達しているかどうかということもよくわかっていないらしい。たとえばイルカなどは人間よりも脳の皺の数がうんと多いという。
もっとも、頭の良さというものを、どの様に定義するかと言う根本的な問題があるから、単純な比較はできないのは言うまでもないが。
頭の良さというのは、その生き物が活動するに当たっていかに的確で迅速に物事を記憶したり考えたり判断を下せるかということだ。これはひとそれぞれ、生物それぞれによって全く違っていても不思議はない。人間の例でいえば、ある一定の事柄にはものすごい興味を示し活動的になるのに、他のことには無気力と言っていい生活をしている人種がいる。身近なところでは、こういう人間はオタクといわれるが、おおかれすくなかれ科学者は専門家に関しては、こういうタイプの方が普通なのではないだろうか。
オタクといわれるのは、興味を示す対象が、いわゆる一般大衆の平均的な嗜好に合致しないと言うだけの話だ。その一般大衆の平均的な嗜好というものは、酒と女とばくちに代表されるような、どうひいき目に見ても人間の欲求としては極めて下位に位置づけられるものなのだけれど、そこのところに疑問や批判が集中することはまずない。だから、そんな下位レベルの欲求に反応する頭より、オタクの頭の方がよほど優れているとも言える。つまり、何とでも言えるわけで、一般に考える頭の良さというものは何を基準に考えたらよいのか、いよいよわからなくなってくる。
生物としての基本に戻って、その生存能力が高いかどうかということ、言い換えれば、いかにその生物が置かれた自然環境および社会環境条件に適応して有利な立場を確保しつつ生存していくことができるか、子孫を残していくことができるか、と言う能力を考えたとき、自分を取り巻く状況に適切に対処するための物理的に体力的なことと、最善の選択を行うための認識、思考、判断にかかわることの2種類の要素が考えられる。そのうち、後者の認識、思考、判断にかかわる要素を頭の良さの基準とするのが適当だろう。
しかし、その頭の良さの基準は、その生物や個体が置かれた環境条件、社会条件によって全く違う。空を飛ぶ鳥と水の中に住む魚、イルカ、陸上の獣類、樹上生活をする動物、それぞれに求められる能力は違うし、この能力を単純に物事の認識能力や関連づけ、言語能力、学習能力などで判断することも、ほんとうに正しいのかどうかはわからない。要は、その生物が生存競争に有利に勝ち残り子孫を残すことができるかどうかと言うことだけが、結果としてのその生物の頭の良さの基準になると言ってもいいだろう。
人間で言えば、男性が仕事をする上で求められる能力の発揮の仕方と、女性が家事を捌きながらコミュニティーのなかで当たり障り無く適切にやっていく能力の発揮の仕方、そしてそれに求められる知能や知恵の性質は全く違うはずだ。そこにはそれぞれに最適の能力の発揮の仕方、頭の使い方があり、その場その場で全くちがう頭の良さの基準がある。
そんな、一定の基準のない頭の良さを計測するのに、絶対の尺度は無い。対象とする生物の行動や何かに対処する能力を見て、質的に極めて曖昧かつ独断的に判断を下すことは可能だが、明確な差を量的に計測する方法などない。頭がよいか悪いかなどという、感覚的、主観的には簡単に判断できるような事を、客観的に計測し、評価することがいかに難しいかということだ。
そこで、当たらずとも遠からずということで、代替的な計量方法として採用されているのが、脳の容積や重さ、と言うことなのだろう。この例は、きわめて乱暴でアバウトなものかもしれないが、正確に計ることができない性格のものについて、その評価を行うためにある基準や尺度を設けなければならない場合の、究極的な選択だと言っていいと思う。
このような割り切り方は、扱い方を間違えると危険ではあるが、一定の指標的基準、尺度を求めるためにはやむを得ないことだし、これで十分に目的が達成される事柄も多くある。
だから、ほんとうは、その尺度の正確さや妥当性を云々するより、どのようにそういう尺度を使いこなすかが、重要なことなのだろう。

2007年1月29日 (月)

あなたはウマとヒツジとサルとトラを連れて旅をしています

どこかで見たようなパズルのような問題が、ネットで紹介されていた。
――――――――――――――
あなたはウマとヒツジとサルとトラを連れて旅をしています。今、目の前に川があって渡らなければなりません。ですが、小さな舟が一艘しかないのです。この舟はあなたが漕がなければ動きませんが。あなたが乗ると動物は1頭しか乗れません。あなたは動物をどんな順番で渡しますか?
――――――――――――――
こういう問題を出されたら、どんな風に答えるだろう?
通常はまず、ウマとヒツジとサルとトラの相互関係を考えると思う。そして与えれた条件から、勝手に一定のルールを想定して、論理的に河を渡す順番を考えるのではないだろうか。
「あなた」はこの4頭の動物をいっしょに連れているわけだが、この中で唯一トラのみがプレデター(捕食者)だ。だから、放っておけば他の動物を補食してしまう極めて危険な動物なわけで、一緒にひもや鎖につないで歩いていたりしたら、羊などは真っ先に襲われてしまうだろう。
だから、トラを檻に入れて、馬に牽かせた荷車に積んで運ぶのが一番安全と言うことになる。この場合はヒツジはひもにつないで引っ張ればよいことだし、サルもひもにつないで自由にさせておけばいい。
しかし、「あなた」は、船で1頭ずつ川を渡すというのだから、荷車などは無いと考えて良い。つまり、ひもにつないで連れて歩いているとしか考えられない。ということは、トラは非常に馴れていて、他の動物を襲わないと言う前提とも考えられるが、船には1頭しか乗せられず、岸に3頭残していかなければならないという条件が設定されている。これは、岸に残される動物の組み合わせによって、何かしら問題が起きるということを暗示しているに違いない。
そう考えて、「あなた」がいて見張っている場合や相手が2頭以上いる場合はトラは他の動物を襲わない、とか、ウマは1頭にすると走って逃げてしまうとか、サルはすばしこいのでトラには襲われないが、トラがいないと他の動物にちょっかいを出して逃がしてしまうとか、そういう条件を勝手に想定する。そうして、論理的にパズルを解くように考えを巡らすに違いない。
そうした場合の答えは、たとえば次のようになる。
トラをサル以外の動物と置き去りにすることはできない。だから、まずトラを向こう岸に渡して、一人で帰ってくる。
次にヒツジを渡して、帰りにトラを連れて戻ると、向こう岸にはヒツジが1頭、こちら岸にはトラとウマとサルになる。そこで、こちら岸にトラとサルを残して、ウマを船に乗せてわたる。サルはすばしこすぎてトラには襲われないからだ。そして一人でこちら岸に戻る。これで、向こう岸にヒツジとウマが、こちら岸にはサルとトラがいることになる。
こちら岸にもどった「あなた」はこんどはトラを乗せて向こう岸にわたる。向こう岸にはヒツジとウマの2頭がいるので、トラと一緒に置いておいても襲われることはない。
そこで、「あなた」は一人でこちら岸にもどってサルをのせて向こう岸に渡り、これで問題なく4頭を向こう岸に渡らせることができる。
というわけだ。
つまり、渡す順序は、トラ、ヒツジ、トラ、ウマ、トラ、サル、と言うことになる。
こういう類のパズルはあちこちでよく見かける、どうと言うこともないお子様向けの簡単なパズルだ。条件を満たすようにトラを何度か言ったり来たりさせるという発想ができるかどうかがポイントだろう。と言うようなことを考えながら、記事の続きを読み進んで、唖然というか、呆然としてしまった。
筆者は、「トラ→ウマ→ヒツジの順番。サルは肩の上に乗せておくか、背中にでもしがみつかせとく」と答えて、そこにいた全員が大爆笑となり大いにもりあがった、というのだ。
なんだ、これは? なにがおかしいのだ? なにがどうなって爆笑したり盛り上がったりしなければならんのだ? 
そもそも、この答えは、パズルにまともに答えたことにも何にもなっていないじゃないか、とさらに読み進むと、この問題は心理分析をするための設問で、トラは自尊心、ウマは仕事、ヒツジは子ども、サルは恋人若しくは配偶者を表すのだそうだ。それで、大事にしている順に川を渡す、というとのこと。これで、その人の大事にしているものや性格、性向が分析できるというのだ。
なにをかいわんや。どこをどう押してどんな根拠があって、トラは自尊心、ウマは仕事、ヒツジは子ども、サルは恋人若しくは配偶者、なんて関係づけができるというのか。子供でもやらないような強引で安易な意味づけと、その分析の稚拙な内容に、あほらしさと脱力感を通り越して、腹が立ってきそうな気分になった。
記事を読んでいくと、この「心理分析テスト」は、ある研修会の息抜きとして出されたものだと言う。いったいどんな研修なのだろうか。このなんの意味もないこじつけのお遊びとも言えないような「心理分析テスト」に、研修参加者全員、何の疑問もなく乗っかって和気藹々と盛り上がり、うれしそうに話題にしている状況を想像して、薄ら寒くなってしまった。
この「心理分析テスト」で場がほぐれ、その後の研修の効果も倍増したと言うのだが、その場で、だれひとり、この根拠も理屈もへったくれもない「心理分析テスト」やらに、疑問やばかばかしさを感じる人間がいなかったのだろうか? もしいなかったとしたら、絶対に異常だ。
しかし、こういう雰囲気の場では、かえって論理的判断のできる人間、普通の神経の持ち主は浮いてしまうのかもしれないと思い当たった。群集心理、集団ヒステリーと同じような心理的現象なのだろう。そんな雰囲気に乗れる人間のタイプには、一定の傾向があるように思う。こういうタイプの人間を操る方策として、この稚拙で無意味な「心理分析テスト」のような道具立ては、非常に効果的なのかもしれない。
ただ気になるのは、彼らの思考回路や性向は、一般庶民大衆として十把一絡げに論じられているそれに近いのではないかということだ。量は力なりである。大勢をしめるこのタイプの群衆を思うようにコントロールするテクニックとして、このような意味も論理思考もない感覚的で稚拙なトリックが有用だというのは、なんだかとても危ない事実であるように思う。

2007年1月27日 (土)

メガマックの次は?

メガマックというのは、ご存じマクドナルドの期間限定特製品の名前である。
普通のハンバーガーに挟んであるビーフパティを2枚にしたビッグマックはずいぶん前から通常のラインナップとして登場していた。でもこれではまだインパクトがたりなかったらしい。メガマックは、間に挟んであるビーフパティを4枚にし、これ一個で754キロカロリー。チャーハン1杯分、野球のピッチャーが1試合に消費する量と同じカロリーだそうだ。
メガロポリスという言葉がある。これは、超巨大都市圏または巨大都市という意味。もともとは首都や国の政治経済の中心となるような大きな都市をメトロポリスと言った。メトロはギリシャ語のmetera、「母」から来ている。英語で言えばmather cityといったところだろうか。その大都市をさらにつなげて広がる都市圏として、都市を意味するpolisに、これもギリシャ語のmegar、「巨大な」という言葉をかぶせてつくられたのがメガロポリスだ。フランスの地理学者、ジャン=ゴットマンという人が言い出した。
メガマウスというサメの一種もいる。全長5メートル、重さ500キログラムにも達する大きな魚だが、とにかく口が巨大で、その大きさをあらわしてメガマウスと名付けられた。太平洋やインド洋など熱帯から温帯に生息し、プランクトンを食べ、昼は水深100~200mにいて、夜間浅いところまで浮上してくるという。
メガバンクと言う言葉も同じように、昨今の銀行合併によって生まれた超巨大な金融組織を指す。
メガマックも、そのボリュームと巨大さからメガと言う言葉を接頭詞に選んで命名されたのだろう。しかし、見たところそのボリュームに比べて、値段がいかにもリーズナブルだ。ビッグマックより70円高いだけの350円という値段につられて、筋金入りのケチンボの息子が早速食べてきた。
感想は、「ぱさぱさしてうまくない」の一言。もともとマクドナルドのハンバーガーってビーフパティがボール紙みたいでそんなにうまくもないものだというのは知っていたけれど、それが4枚重なってもやっぱり味は同じだったと言うことか、と変なところで感心してしまった。
ところで、メガと言う言葉はメガマックやメガマウス、メガバンクなどに使われている意味の他に、数量の単位としての意味がある。千の単位がキロ、メガはその2乗の100万に当たる。3乗の10億はギガとなる。
だから、メガマックの上はギガマックだ!などと言ってビーフパティを8枚挟んだハンバーガーをつくって喜ぶやつがいるのではないかと思っていたら、やっぱりいたので苦笑いしてしまった。これである。
やってやったぜギガマック
http://blog.mantiddesign.com/2005/12/diary_20051221_wed.html
しかし、この御仁、6枚のビーフパティを挟んでギガと称して喜んでいるところを見ると、あきらかに文化系の人間らしい。ビッグマックのビーフパティ2枚をキロマックとするなら、メガマックのビーフパティ4枚は、キロマックの2倍ではなくて2乗になる。だから、ギガマックはビッグマックのビーフパティ2枚の3倍である6枚ではなくて3乗の8枚にならなければならない。この勘違い、というか無教養は嘆かわしい。
それはさておき、そうなれば当然、ギガマックの上は何になるのか、と言う方向に話が進まないではいられない。それが自然の摂理というものである。
SI(国際単位系)では、ギガの上はテラ。だからギガマックの上はテラマック。2の4乗つまり16枚のビーフパティがバンズの間に挟まれる。漢字変換するとギガマックは戯画マック、テラマックは寺マック。寺マックを食べたらカロリーオーバーで、即お寺行きという冗談にも使えるだろうか。
で、これまた当然のことながら、さらにその上は何かということになるはずだ。国際単位系では、K(キロ) M(メガ) G(ギガ) T(テラ)の先は、P(ペタ)E(エクサ)Z(ゼタ)と続き、Y(ヨッタ)でおしまいになる。つまり国際単位系では、2の8乗の256枚のビーフパティを挟んだヨッタマックでおしまいである。
この先は無いのか、とこれまた当然のことながら考える人が出てくるに違いないが、心配しなくても大丈夫。漢数字の単位系には、ちゃんとその先も用意されている。
その単位名を列記すると、下記のようになる。
一 十 百 千 万 億 兆 京 垓 禾|予 穰 溝 澗 正 載 極 恒河沙 阿僧祇 那由他 不可思議 無量大数
(注:「禾|予」は編が「禾」造りが「予」で構成された漢字を示している)
万までは10倍づつ、万以上恒河沙までは万進、恒河沙以上無量大数までは万万進だ。なんとまあものすごい概念であることか。古来からこういう単位大系があったということに、おもわず襟を正したくなってしまう。漢数字は偉大だ。
しかし、最後の方の「恒河沙」、「阿僧祇」、「那由他」なんてのは、もう、なんのことやらわけがわからない。実際、わけがわからん想像もできないと言うことで、その後の「不可思議」や「無量大数」という単位名が付けられたのじゃないだろうか。ここまでくると、その数字の大きさを想像するだけで、あたまがくらくらとしてくる。
こういう単位のマックをつくって遊んだやつはいないかと検索してみたら、やっぱりいた。これである。
肉22枚挟んだら何マック?
http://www.eonet.ne.jp/~ddr-koji/22mac/22mac.html
この連中もやっぱり単位のなんたるかを理解していない。いったい日本の教育はどうなっているのだ?
こういう遊びをやるノリの連中というのは文化系に限られているのだろうか。決してそんなことはないとおもうのだが、なんだかちょっと寂しい気分におそわれてしまった。

2007年1月25日 (木)

んの発音

フランス語を勉強していちばん困惑したのが「ん」の音と「ら」行の音だった。
フランス語ではHは発音されない。そのかわりにRの音がまるでHのように聞こえる。
これは、舌を丸める代わりに、口の中いっぱいに広げ奥の方を膨らませてRの音を出すからで、聞きようによっては、Hに近い擦過音になる。この音を出すのと聞き分けるのが一番やっかいだった。
しかし一般には「ん」の音の方がよく話題にされる。あの鼻に抜ける独特の音が、フランス語の雰囲気を醸し出しているといってもいいからだ。この音も日本人には難しいと言われている。それには理由がある。日本人の「ん」の発音は、実は音声学的には4通り以上もあるのだ。
「ん」の発音は、前後に続く音や発音速度との関係で舌の位置が変化することによって、明らかに違う音として発音される。しかし、我々はその音をすべて一つの音として認識しているということらしい。日本人に、LとRの区別がつかないのと同じ理屈だ。
しかし、「ら」行の音の場合は、もともとRに近い発音しかないということが区別のつかない理由だけれど、「ん」の場合はちょっと事情が異なる。
先に触れたように、我々が発音する「ん」の音は、前後の音や速度、話者の癖で実にさまざまな音として発音される。その中には、フランス語の鼻母音のような甘く鼻に抜ける音もしっかりと含まれているのだ。
音声学的にはいろいろと難しい定義があるが、わかりやすく整理しなおすと、次のようになる。ただ、これは正確なものではない。どちらかと言えば、後続音によって音が変化するということを意識した方がいいかもしれないのでご注意のほどを。
「ngの”ん”」― 例:考える ングと発音
「nの”ん”」 ― 例:簡単 舌が上の歯につく
「mの”ん”」 ― 例:乾杯 唇がくっつく
「無音の”ん”」 ― 例:関心 唇も舌もどこにもくっつかない
このうち、フランス語のnの音に近いのは「無音の”ん”」だ。この場合は、先行母音の口の形、舌の位置のまま鼻に音を抜くことによって「ん」の発音をする。だから、もし、後続音がある場合は、この甘く鼻に抜ける音ではなく、日本人が一般的に考えている「ん」の音のように舌が口の中のどこかにくっついた発音となる。
ところで、このフランス語のnの音だが、実は関西人にとっては非常に耳慣れた発音しやすい音なのだ。実際、自分がたまたま関西人であったことが幸いして、フランス語を勉強するとき、この音に関してはまったく違和感がなかったのに、ちょっと面食らった覚えがある。
たとえば、標準語の「○○をしたんだ」という表現は、関西弁では「○○したねん」または「○○してん」というふうになる。このときの最後の「ん」はすぐ前の「ね」や「て」の口の形のまま鼻に抜いて「ん」を発音する。表記的には「○○したねン」、「○○してン」という感じになるのだろうか。
そのほかにも、自分で意識して発音したり、他の関西人ネイティブの会話を聞いていると、「ん」の音が単語の途中に来る場合も、この発音の仕方に引っ張られてか、しっかりと口を動かさず、鼻に抜ける音で発音することも多い。これは、話す速度が速いことにも影響しているのだろうと思う。
だから、関西人の発音で特定の言葉を言ったとき、それがそのまま綺麗なフランス語に聞こえるなんて事も起こりえる。たとえば、標準語で「何しているの?」というのを、関西弁では「なにしとンのン?」というが、この「とンのン」というのが、そのままフランス語でton nom(君の名前)と聞こえてしまう。ちなみにフランス語の単語の最後に来るmの音は鼻に抜けるnの音と同じ音である。
だから「捏ねているのか?」というのを関西弁で言うと「こねとンのン?」で、そのままconnes ton nom? つまり、「(彼は)君の名前を知ってるのか?」といっていることになる。
英語にも、What time is it nowを「掘った芋いじるな」と読みなす話があるけれどこれはなんとか想像できるかなというくらいのものだ。しかし、このフランス語の方は、本当に綺麗な発音として通じてしまうから、関西人の方は是非試してみる価値があると思う。
たかが、「ん」の発音だけれど、よくよく注意して聞いたり発音したりすると、意外なくらいに複雑な音なのだなと気付かされる。語学の勉強をする場合は、そんなことにいちいちかまわずにどんどん読み、書き、しゃべることが大事なのだが、私の場合はこういうところでおもしろがってしまうから、いっこうに語学の勉強がはかどらないのかもしれない。

2007年1月23日 (火)

容器の値段

マーマレードが大好きである。
ちょっとまえまでは10枚切りのサンドイッチ用にスライスした食パンをカリカリにトーストし、バターとマーマレードをたっぷりつけてミルクティーといっしょにいただくのが朝食の定番になっていた。
とにかく、毎朝、これがないと始まらない。あのオレンジのフレーバーと甘さ、それからバターの風味と塩味が微妙に混ざり合った味が、カリカリにトーストされたパンの香ばしさといっしょに口の中に広がったときの幸福感は何物にも代えがたい。自分にとってはほとんど麻薬なみの効果と習慣性があったように思う。その味がまだ口の中に残っている間に、濃い紅茶にたっぷりの砂糖とミルクを入れたミルクティーを口に含むと、そのほどよい渋さとミルクのまろやかな味が、マーマレードとバターの余韻をくるむようにしてのどの奥に流し込んでくれる。
この快感はもう完全に、病みつきという言葉が当てはまるくらいの嗜好になってしまい、かつて、ほぼ1年近く朝食はこの組み合わせだけで通しきったこともあった。
これを知った嫁さんが、さすがに健康を心配したのか、バナナをオーブントースターで焼いたベークドバナナを勧めてくれて、最近はこれを食べている。バナナは熱すると持っている酵素が働いて、人間の免疫力を高める効果を持つようになるのだそうだ。それに、焼いたバナナは甘みも増して想像以上においしいので、これもまた定番朝食のレパートリーに加わった。
それでも、やはり一週間に2回はマーマレードとバターをたっぷり塗ったカリカリのトーストとミルクティーを食べないと調子が出ない。だから、冷蔵庫にはいつもバターとマーマレード、それから冷凍室にサンドイッチ用の10枚切りパンをストックしてある。パンは冷凍しておいて、そのままトーストする。そうすると風味が全く落ちないので、たまにしかトーストを食べない場合はとても便利なのだ。
マーマレードはいつもスーパーマーケットで購入する。たいていは、パンのコーナーか、ジャムやスプレッドといっしょに並べられているのだけれど、いつも不思議に思うのはその値段のことだ。同じメーカーの同じ瓶詰めやペーパーカップ入りのものなら、ママレードとブルーベリーとイチゴのジャムの値段が同じなのだ。ほかにもイチジクやリンゴやカシスやいろいろあるけれど、みんな同じ値段であることが多い。これが、どうも気に入らない。
というのは、マーマレードはオレンジの皮からつくる。本来ならジュースを取ったりしたあとに捨てる部分だろう。それが、イチゴやブルーベリーやリンゴやイチジクやカシスなどの実の部分からつくるジャムと同じ値段だというのはどうしてなのだろうか、と思うのだ。たかが200円程度のものに、そんなに目くじら立てなくてもいいだろう思われるかもしれないけれど、毎日食べる身近なものだけに、よけいに気になる。
しかし、いろいろ考えているうちに、よほど特殊で高価な材料ではない限り、ジャムやマーマレードの原価はその加工賃が大部分を占めるのではないかということに思い当たった。材料を選別し、洗浄し、鍋で煮て瓶に詰める手間のほうが大きいのに違いない。自分が家庭でジャムをつくる場合はこの労働力のことを意識していないから、すぐに材料費のほうに気を取られてしまうが、本当は人件費が製造原価の大きな部分を占めるのだ。これは、なにも食品に限ったことではない。
ただ、ジャムやマーマレードのような保存食品の場合、製造原価のうちに占める部分がもっと大きい要素がある。それは瓶やカップなどの保存容器だ。缶詰や缶ジュース、ペットボトル入りのジュースなども同じ事が言える。その証拠に、どんな缶ジュースもペットボトル飲料も値段はほぼ同じに設定されている。これは、人件費や流通費用と容器の値段の製造原価に占める割合が圧倒的だと言うことを物語っている。
実際、調べてみると、缶に限らず包装容器の値段というのは想像以上に高い。
たとえば、環境省の資料では、350mlのアルミ缶が28円、1リットルのペットボトルが47円。奈良県生駒市の広報では、飲料用ペットボトル1~2リットルが47~62円、飲料用アルミ缶、スチール缶350ミリリットルは28円、飲料用紙パック(牛乳パック)1リットルは10円、食品トレイ白色が4円、色付きが15円、卵パックは1円、シャンプー用ポンプ式ボトルは137円となっている。
缶ジュースの場合、販売価格を120円とすると、流通費用と販売コストが70円程度を占める。だから缶ジュースの原価はだいたい50円。そのうちほぼ30円が缶の値段で残りの20円が中身の値段。さらにその中身の値段の中に製造加工の設備機械償却費と人件費が入っているわけだから、原材料の値段は10円以下だろう。つまり、原材料の占める割合は8パーセント程度しかないわけで、この値段が多少高かろうが安かろうが、販売価格に大きく影響することはないということだ。
そんなわずかな差を、販売価格に反映させて、1円単位で値段を変えたりしたら、かえって流通コストがかかるのにちがいない。だから、缶ジュースもジャムやマーマレードも中身がどんなものであっても、だいたい同じ値段に設定されているのだ。
もちろん、非常に特殊で高価な材料であるバラの花びらのジャムなんてものは別格だ。そういうものは、もともと一般のスーパーで売られるようなものではないし、初めから販売経路も購入者の層も違うのだから、一緒に考えてはいけない。問題にしているのは、私のような庶民がごく普通に消費している一般的な食品についてのことだ。だが、そういう製品だからこそ、原価は製造コストぎりぎりでつくられている。その中での原材料の占める割合が非常に低いからこそ、種類が違っても販売価格が同じという現象が起きる。
ただ、どんなジャムやマーマレードやジュースなどの保存容器入りの飲料も、商品である以上はコスト割れしないように原価を計算しているはずだ。だから、おそらくは一番高い原材料に合わせて原価を設定しているのに違いない。だとすると、やっぱりマーマレードはほんのわずかだけれど、値段が高めに設定されているはずということになる。
みみっちいと思われるかもしれないが、マーマレードファンとしては、やっぱりなんとなく納得のいかない気分はぬぐい去りきれない。かといって、安売りのマーマレードを買うことは禁物である。容器の値段や製造コストは変わらないのだから、値段が安くするには原材料の質を落とすしかない。だから、こういう安売りの品を選ぶときは、ラベルの製造原産国や成分表をよく見て判断することが一番大事なことはいうまでもない。
ある意味でマーマレードやジャムほど、その風味に優劣のあるものも少ないと思う。安物買いは、ぜったいの銭失いになることだけは保証する。マーマレードフリークからの忠告である。

2007年1月21日 (日)

百日続きました

なんと、一日一作文章練習と称して、一作原則30分から1時間以内で、粗製濫造の文章作成を試みだしてから、今日で丁度百日目だ。
お百度参りという言葉があるが、別に願をかけたわけでもないので、その効果をどうこう言うわけでもないが、それなりに現在までの効果を分析してみたい。
まずは、書くことにそれほど苦痛を感じなくなった。キーボードに向かって、うーんとうなって指が止まってしまうということがなくなったということだろうか。それだけでもたいした進歩だと思う。
ただ、その書き方は、最初からプロットを考え、箇条書きなどの方法で書き出したシノプシス、アウトラインに従って理詰めで書いていく様なものではない。ただ、頭の中に浮かんでくる順に話すように文字に変換していくというやり方を取っている。これが良いのかどうなのかわからないけれど、過去に書いたものを読み返して見ると、それなりにスムーズに大きな論理的破綻も無く読めるように感じる場合が多いのに、自分で驚いている。良く話す人の頭の働き方をシミュレーションして体験することが出来たという様なものなのだろうか。
しかし、ミスタイプによる文章作成速度の低下への影響は大きい。これはもうちょっと真剣にインプットメソッドを鍛えれば改善するだろうことはわかっているのだが、いちいち画面を開いて単語登録をするのが面倒くさくて、ついそのまま打ち直したり、便利な変換をつくらずに毎回長い単語を律儀にタイプしていることが大きい。
それでも、とにかく、こうやって頭から流れ出るままの文章が画面に転記されていく様子を、別の自分が客観的に眺めている様な独特の感覚が味わえるようになったというのは、ちょっとした成果かもしれないと思う。そのことが、文章を書く上でほんとうに役に立つことかどうかは知らないけれど。
もうひとつ、興味深かったのは、情景の描写をする場合は、頭の中にビジュアルなシーンが現れるようになって、それを観察しながら文章にしていくという作業が、あきらかに意識的にできるようになってきたことだ。街の中や部屋の中など、初めから頭の中に細部にわたって立体の映画でも見るように情景が浮かびあがるので、説明するように文章化するのにそれほど苦労しない。これはおもしろい。
問題は、表現するのに適当な言葉が見つからないことだ。こういうことをいいたいんだけれど、こういう意味のことを表現したいんだけれど、どういう言葉がいいんだろう、とかつて見聞きして記憶のどこかにあるように思う適当な単語や熟語を思い出そうとしても、どうしても出てこなかったり、とてももどかしい思いをすることが多くなった。
やさしい言葉に置き換えて書いていくのは簡単なことだけれど、それではなんとなく文章の感じが変わってしまうように思う。変わったところで、どちらにしろたいした文章ではないことはわかっているのだが、このあたりの感覚に自分の自意識過剰な点が現れているのかなと思って、当惑気味になる。この適当な言葉を思いつくまで、または辞書などをひいて探し当てるまでに、文章をタイプしている以上の時間が消費されることもあるから、あらためて、語彙や表現に関する基礎知識というものが、文章を書く上で重要だと言うことも再認識した。かといって、この知識能力は簡単につくものではない。やっぱり適度に新たな情報を仕入れていくことが必要なのだろう。
ところで、当初の目的であった文章を書く速さについては、すこしは早くなったと思う。もちろん、質の問題は別にしてのことだが。前にどこかで、1分間に40文字程度が普通の速度だと読んだことがあるが、少なくともそのくらい以上にはなっている。ただし、これは書く文章のアイデアを思いついたり、細部を考えたりする時間、ミスタイプやこまごまとした修正をする時間を除いてのことだ。これを入れるともっと生産性は低くなる。実際最初に決めた1時間ルールを越えて時間を要した文章も多い。こまったものだ。
今書いている様な文章は、キーをたたき出すまで、どんな風に書こうという様なプランは頭の中に無い。だからどんどんと思いつくままに文章を綴っていっているので、書き始めてから現在までで約25分。ミスタイプや誤変換をしてかなり時間をロスしているけれど、書くだけならこんなものだろう。自分自身としては、この辺りが限界かなと思う。
どちらにしろ、なにかしらテーマを思いつき、そのことに関連したことがらをそれなりに情報収集して文章を書き上げるというのは、今やっている話す様な書き方とは全く違うことは確かだろう。その場合はうんと時間がかかる。しかしそのかわり、論旨の展開は整理されるし、一つの作品として読むに耐えるものになるのだと思う。だから、今やっている書き方はそのときに、いかに的確に迅速に文章に変換するかという技術的なことを練習しているのだと割り切っている。
もう一つ、面白く感じているのは、文章の量のことだ。一つのテーマを思いついて、特に情報を収集せず、頭の中に蓄えられている経験や知識のみに頼って論理を展開し、文章を書こうとすると、その分量はだいたい二千字程度になる。これは毎回わざといろんなタイプの文章を書くようにしているのだが、変わることが無い。大体二千字前後で書くことが枯渇してくる。どんなに引き延ばしても三千字がいいところ。四千字を越えるためにはおそらく、一つのテーマをいくつかの視点から見て説明したり分析し、論旨を展開していく作業が必要になるのだろうと思う。
この経験をすることによって、世の中のたいていのエッセーらしきものが二千字程度で書かれている理由が、実感できた様な気がした。
それがわかっただけでも、百日間一日一作文章練習を続けたかいがあったというものか。なんとなく成果が見劣りする様な気がしないでもないが、最初に言ったように、なにも願掛けしたわけではないので、こんなものなのだろうと自分で納得している。
それにしても、よくもまあ百日も続いたものだ。これで、いったん文章練習は休止しようかと思ったが、せっかくここまでつつけたものなので、このあたりで、ペースを変えてこれからも続けてみようと思う。ペースを変えればまた違ったことに気づくと思うからだ。
文章がうまくなるかどうかということは、もちろん別問題だけれど、石の上にも3年、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるというなんて言葉を、頭の片隅に置いて、がんばってみたい。
というわけで、現在のタイトル「一日一作文章練習」改め、今後は「ほぼ二、三日に一作文章練習」として、このブログを継続することにする。
以上、ここまで約45分間で40文字74行の文章作成練習タイプたたき。今回はちゃんとした読み直し、誤字脱字修正その他書き直しはしないで終わる。

2007年1月20日 (土)

南の島

とにかく寒い。だからこの季節になると、南の島にあこがれてしまう。
いいなあ、南の島。
この言葉を聞くと、即座に、強烈な日差しと青い空に白い雲、白い砂浜とどこまでも透明な海、珊瑚礁の入り江に色とりどりの熱帯魚が遊ぶ熱帯の海岸の風景と、茅葺きのコテージのベランダに置いたチェアにゆったりと腰を落ち着けて、心地よく暖かい風が肌を撫でていく感触を楽しんでいる自分を想像する。
やっぱり、瀟洒な作りの高級リゾートホテルが最高だろう。コテージの前には水面が太陽の光にきらきら光る白いきれいなプールがあって、いつでも熱く焼けた肌を冷たい水に冷やしながら、ゆったりと漂うように泳ぐことが出来る。プールの縁には、ドリンクバーがあって、水に浸かりながらちょっとした飲み物をいただきながら、コテージのベランダにいる家族に、こちらにおいでと手を振る、なんていう、これぞというばかりの南の島のリゾートシーンを頭に描いて、それだけでなんとなく幸せになってしまう。
自分と同じように、たいていの人は、「南の島」という言葉を聞くだけで、もう、現実から遠く離れて、限りない幸せな気分に浸れるんではなかろうか。「南の島」という言葉には、それくらいの魅力と迫力がある。
しかし、南の島って、現実にはいったいどのあたりの島のことを言うのだろう。
東西南北というのは、だいたい自分がいる場所を中心として言う言葉だから、仮に日本の東京を自分がいる場所として考えたときは、南にある島は、近くは、八丈島・大島・新島・式根島・神津島などの伊豆七島、それに小笠原諸島、ということになる。しかし、この島々は東京都内なので、なんとなく南の島という感覚とはちょっとちがうような気がする。
あえて、日本国内の南の島、といえるのは、沖縄県の諸島だろうか。でもあの島々は、南西諸島というから、正確には南には無い。だから日本の真南にある南の島ということになると、日本を離れて海外の島ということになる。
世界地図を広げると、日本の南にあるのは、インドネシアのイリアンジャヤ、パプアニューギニア、それからニューカレドニアにオーストラリア。インドネシアはバリ島だとかロンボク島だとか、観光でも有名な島々があるから、イメージに近いような気がするけれど、他は、どうなのだろう。
世界地図をつらつらと眺めると、典型的な南の島々のイメージである、ハワイやタヒチ、フィジー、モルディブ、プーケットやセブ島なんてところは、実は、日本の真南には位置しない。たしかに赤道に近い位置にあるから、南の方には違いないけれど、正確には南西か南東というべきだ。まあ、それを一括して南の島といっているといえばそれまでだけれど、このアバウトな言い方は、どうも納得がいかない。
というのも、我々が日本という国に住んでいるから、これらの島を南の島、赤道あたりにある国を南の国なんて呼んで、熱帯の風情を思い浮かべるのだけれど、ヨーロッパに住んでいるひとにとっては、南に島なんかない。あるのはアフリカ大陸だ。だから、彼らの南のリゾート地は地中海の沿岸だし、対岸のアフリカ沿岸ということになる。アメリカやカナダのひとにとっては南の島というのはカリブ海に浮かぶ島々ということになる。
もちろん彼らだって、インドネシアやタイ、フィリピンなどアジアの島々には頻繁にリゾートや観光に訪れている。その場合、彼らは、それらの国々の島々のことを「南の島」というイメージでとらえているのだろうか。
日本で見る世界地図は、日本が真ん中にある。小学校の頃からこういう地図を見慣れているから不思議ともなんとも思わないけれど、これは経度でいうと東経135度線が中心に描かれた地図だから、きわめて自己中心的な地図だといっていい。世界の中心で愛を叫ぶなんて、素っ頓狂な題名の小説や映画が話題になったことがあったが、あれほど自己中な概念も無かろう。あんな題名を喜ぶ連中はどう考えても常識のない無知無能で自分勝手でマナーの悪い低脳な連中としか思えない。
話がそれてしまった。つまり、本来の世界地図というのは、やはり経度0の基準線を中心に東西に180度、南北に90度展開した地図でなければならないということをいいたかったのだ。ネットで検索すると、真っ先に出てくるのはそういう標準的な地図である。それが普通だ。
この世界地図で見ると、日本は右の端、はるか東の彼方にあるし、ハワイやタヒチなどの太平洋諸島は遙か西の端にある。日本人が南の島としてイメージする島は、ことごとく世界地図の西か東の彼方にあるのだ。これらの島々にヨーロッパのひとが「南の島」というイメージをもっているか、ちょっと尋ねてみたい気がする。
じつは、もっと気になることがある。
だいたい、近代文明が特に北半球で先に発展したことから、赤道付近の熱帯地域を「南」と認識しているのだろうけれど、南半球の国々から見れば、赤道付近の熱帯のリゾート地の島々は、「北の島」になってしまう。北の島というと、なんとなく千島列島やサハリン、グリーンランドなどという凍てついた島を想像してしまうのだが、オーストラリアやニュージーランド、それから南アフリカとか南アメリカの国々の人々は、我々が言う「南の島」のことを、どんなふうに呼んでいるのだろうか。
南半球のひとにとっては、太陽は東から昇って西に沈むのは同じだけれど、正午には北の空に太陽がかかる。太陽の南中ではなくて北中というのだろうか。また、北向きの家は日当たりがいいことになるし、北辺の地というのは、暖かい豊かな地方のことを意味するのだろうかなどと考えると、なんだか感覚の逆転に眩暈がしそうになる。
そういえば、南十字星というのも、我々は、南の島のシンボルのようにとらえていたけれど、北極星、つまりポーラースターが見えない南半球のひとにとってはどうなのだろう。我々が北極星で寒い北極の地やシロクマをイメージするように、彼らにとって南十字星は極寒の地の南極を象徴する星座になるのだろうか。ぜひ、南半球の住人に、「南の島」とか「南の国」「南向きの家」「北辺の地」「南十字星」などの言葉によってイメージされる感覚を、訊いてみたいと思う。

2007年1月19日 (金)

写真の見方

小学生だったか中学生だった頃、社会の先生が教科書に掲載されている写真についてこんな事をいっていたのを思い出した。
「ここに写真がある意味を考えなさい。これだけの面積に文字を書けばずいぶんとたくさんのことを伝えることが出来ます。写真はその大きさに書かれる文章と同じかそれ以上のことを皆さんに伝えようとして掲げられているのだから、よく見て自分の頭で考えてその意味を読み取りなさい」
いっていることがわからなかった。写真の横には、その写真が何を見せているかという解説文が記載されている。だから、その解説に沿わない写真の見方は、意図されたものではないはずだ。そこをあえて、写真の隅々まで見て本来の意図とは違う情報を探れと言うことなのだろうか、と疑問を感じた。
たしかに写真そのものの情報量というのはすごい。よほどトリミングされたり加工されたりして、撮影者の意図以外の対象物が全く写っていないようなクローズアップ写真は別として、普通はその周辺部や背景部分に、実に様々な関係のない情報があふれている。
たとえば、アフリカの内戦での悲惨な難民犠牲者を紹介した写真には、やせこけた少女が中央に大きく映し出されていた。しかし、その少女を抱きかかえる白人の手首にきらきらと光る高級そうな時計のベルトが見え、遠くには国連軍だろうか、かっこいい制服に身を包みベレー帽をかぶって立ち話をしている兵士の姿や、取材陣を取り巻いて見物しているのだろうか、たくさんの人影が写っているし、そのうしろには商店で買い物をしている人の姿も見える。
解説文を読んでいると、街中がたいへんなことになっていて、いますぐにでも援助の手をさしのべないと次々と人々が死んでいく緊急事態のように感じられるけれど、実際はそんなものではない、ということが読み取れる。大変な状態である人もいれば、普通に過ごしている人も、我関せずと暮らす人も、外国から特権階級として現地に入り込んで、報道や治安に従事している人もいる。そうでないと、こんな写真を撮ること自体できなかったはずだ。
そういう情報が読み取られることは、この写真を掲載した人の意図にはない。訴えようとしていることは、文章に述べられている。つまり、この場合、写真は筆者の主張する内容を補完するために使われている。だから普通は、文章による方向付けがなされた上で写真を見ることになる。それで初めて、写真に語らせようと意図したことが正しく伝わる。
しかし、写真というのはどんな見方をされるか予想が付かない。どんなに受け手の視点をコントロールしようとしても、一旦提示された写真をどの様に見るかは受け手の自由だ。どんな見方をしようが文句をつけられる筋合いはない。ここにおもしろさがある。
旅行やなにかの集まりなどのスナップ写真の背景に、写っていないはずのものが写っているように見えるといって騒ぎ立てたりする心霊写真は言うに及ばず、素晴らしい風景写真の中で遠くに立っている人影が立ち小便をしているように見えるとか、しゃれたオフィス街の写真に写ったビルの窓がまるであかんべをしている人間の顔のように見えるとか、記念撮影の背景の妙なところに矢印のような影が差して特定の人間を示しているように見えるだとかということは、ざらにある。
そんなふうに写真の中に意図しない見当違いの事象を見たり、笑いを誘ったりする風景を発見して喜んだり楽しんだりしているうちは良い。本当に問題なのは、一定の思いこみやイデオロギー、主義主張や思想をバックに、なんの意味もなく記録された写真の風景の一部に特定の意味を見いだし、これ見よがしに提示して吹聴したり、もっともらしい理由付けをして、他人に影響を及ぼすような言動を展開したりすることだ。
先に挙げた心霊写真などは、はなから非科学的な事象だとしてはねつけることが出来るから罪が軽い。始末が悪いのは、写真が撮られた意図を曲解し、写っている情景に悪意のある意味づけをして写真を撮影した人を糾弾したり、写っている情景とはなんの関係もない事柄に結びつけ、その証拠資料などとして流布したりすることだ。
こういう使い方は、ある意味ではまさに、小学校の先生の「自分の頭で考えて写真の意味を読み取りなさい」という指導の究極の成果とも言えるものだと考えられないことはない。写された背景やストーリーを持たない写真はただの写真でしかない。自分の頭で考えて、意味を読み取れといったじゃないか、どの様に解釈しようが、使おうが全く問題は無いはずだろう、というのが彼らの言い分だろう。
それでは、文章に写真が添えられた意味がなくなってしまう。ほんとうは、解説文と写真を良く見て、示された事実のリアリティを感じ取りなさい、と指導するべきだったのだ。一枚の写真には様々なノイズがあふれている。その中から的確な情報を選別する技術は、基本的に客観的なものでなければならない。断じて、ノイズの中から都合の良い情報を取り出し、曲解して利用し、自分の主義主張を正当化するというような、主観的なものであってはならないのだ。「自分の頭で考えて写真の意味を読み取りなさい」などという指導は、全共闘的イデオロギーに心酔した不良害毒教師の確信犯的なミスディレクションだ。
しかし、写真は文章の単なる付属品ではないし補完部品でもない。それ自身で訴える情報を持った作品であることは、誰も否定できない。その情報伝達の方法が、言語や数式による論理的なものではなく、視覚に頼り、情感に訴えるものであるということに、このような意図的な誤用、悪用の原因がある。
ビジュアルな媒体は、論理的思考を飛ばして直接感情に訴える。だから、「自分の頭で考えて写真の意味を読み取」らない人間は、ねじ曲げられた情報が与えられたとしてもわからない。ビジュアルな情報を操作して伝えたいことを誇張し、相手の意識にすり込むことはいとも簡単にできるし、現在のメディアがやっていることは、そういう操作そのものだといってもいい。
写真を初めとするビジュアル媒体の情報は、うかつに信じるものではない。これは心に留め置いていいことだと思う。

2007年1月18日 (木)

1月18日の夢

町の図書館にいる。
とても古い木造の図書館で、いくつもの建物が短い渡り廊下でつながっていて、部屋ごとに床の高さが違う。玄関を入って左手の階段をおりた部屋は、昔の木造の小学校の教室のような雰囲気で、ハードカバーの専門書や、雑誌類が並んでいた。それぞれの木の棚に垂直に10センチ四方くらいの板が取り付けられていて、そこに歴史、政治、経済、産業、自然科学、電気、生物、語学、などと見出しが付けられている。天井の梁からは鎖で蛍光灯がぶら下がっていて、薄暗く青い光が、部屋の中を照らしていた。
受付の右側奥のくぼみになったコーナーには、古い百科事典類や、今はもう絶版になったような全集などが納められた棚があった。ほこりが積もって、インクのシミがある茶色い木の本棚がそのコーナーの三方を埋め尽くしていて、納められた本類は、表紙が汚れたりこすれて破けたりして、いかにも古書という感じがする本ばかりだった。
そのなかから、写真集らしきものを取り出して開いてみたら、明治時代か大正時代の学校や会社の集合記念写真のように、たくさんの人が並んだ白黒の写真ばかりを集めたものだった。その髪型や服装が興味深かった。何かの社史とかそういうものから集めたものなのだろうか? 
棚には様々な大きさと厚さの不揃いな大型本がぎっしりと並んでいる。煤けた濃い緑色の背表紙に貼られた長方形の青黒い長方形の短冊にくすんだ金文字で鐵道という文字が書かれているのが目に入ったので、思わず手にとった。ひらいてみると、これも白黒の古い時代の鐵道風景の写真と、蒸気機関車や鐵道施設の図面解説が細かく記された資料集のような本だった。このコーナーは、百科事典のような資料集に加えて、企業や役所の古い資料を集めて展示してあるところらしかった。
コーナーを出て左側の短い渡り廊下を進んで階段を上り、本館の右隣になる建物の一段上がった部屋にいく。そこは文庫本や小説が中心に置かれていた。階段を上がりきって振り返ると、右正面とその奥の壁は、天井まで大きな本棚がしつらえられ、文庫本でぎっしりと埋めつくされていた。入りきらずにすきまに横に積まれているものもある。
よく見ると、一般的な文学だけでなく、若者向けのノベルズや漫画に近いようなものまである。もちろん、シリーズすべてがそろっているわけではなさそうで、まるで古本屋からそのまま持ってきたような感じがする。本自体も端がめくれかえったりして、かなり傷んでいた。なかには、よくもまあこんなものまでと感心するような冊子もあって、若い人たちが棚の前に立って、本をとっかえひっかえしながら立ち読みしている。あっさり借りて帰ればいいのに、そうやって立ち読みするのが面白いらしい。
部屋の中央にも胸のあたりまでの本棚がいくつも並んでいて、こちらはハードカバーの本が作家順に並べられていた。
反対側には、白壁に大きく開いた窓から光が差し込む明るいスペースがあり、閲覧用の机がいくつか置かれている。窓のわきには胸の高さあたりまでのスタンドがあった。これも木造で濃いニスの色がいかにも時代がかって見える。その棚には、雑誌やペン立て、インク壺と羽ペンのセット、ペーパーナイフ、ブックエンドなどの文房具や書斎関係の小物が飾られていた。よくみると、それぞれに小さな値札が付いている。骨董品のように見えたのだが、これはみんなレプリカの売り物らしかった。
そばに、模型雑誌が置かれていたので、ページを開くと、この街の模型店の広告が目に入った。ラジコンの飛行機やボートを専門に扱っているらしい。全国にチェーン店があって、その一番大きな支店のようだ。地図をみると、そんなに遠くはなさそうなので、帰りに車で寄ってみることにした。
一緒に来ていた息子は、途中のスーパーマーケットに自転車を止めてあるのでそこでおろしてくれと言う。図書館から細い曲がりくねった道を何台もの車とすれ違いながら幹線道路に出、スーパーマーケットの駐車場の前までいった。駐車場は右手にあるので、右折しないと入れない。息子は、買い物をしていくからスーパーの玄関まで行っておろしてくれればいいというので、そうした。
それから、信号を左折して、川沿いの幹線路に出たところで道がわからなくなった。仕方がないのでカーナビゲーターに頼ることにしたが、おぼろげにしかアクセス地図を覚えていないので、ナビゲーターに周辺の地図を表示させて、それらしい地形を探し回り、なんとか見当をつけて走り出した。しかし、どうしてもたどり着けない。ちょうど通りかかった子供達がいたので、その模型店の名前を告げて尋ねたら、知っているという。案内してあげるけど、ここからじゃ、道が複雑で車ではよくわからないので、カーナビを使って教えてあげる、という。
彼は車に乗ってカーナビの前にすわると慣れた手つきで画面のタッチパネルを操作し、まるで実際の風景を見ているような画面を映し出した。この機能は全く知らなかったので、びっくりした。こんな機能、どんな風に操作すればいいのか全くわからない。
私の困惑をよそに、彼は、どんどんと画面を切り替えて道筋を登録し、それから模型店のある通りの風景をまるでビデオを見るような映像で、私に見せ始めた。低い建物が舗装していない広い通りに沿って並んでいて、なんだか開発途上国の田舎の街の風景のように見える。
「あ、ここから、もうちょっといって、この白いのが電気屋でそのとなりが反物屋、それからコンビニがあって、つぎの角だな。これね、この角の白っぽい建物がその模型屋さんだよ」といって指さしてくれたのは、四つ辻の角に面して、角がまるくなったコンクリート造りの白い二階建ての建物だった。なんだかちょっとアメリカの時代がかった感じの建物みたいだった。
「なるほどね、じゃ、いっしょにいく?」といって、車を出したところで目が覚めた。

2007年1月17日 (水)

人生いかに生きるべきか

昔から、人生いかに生きるべきか、なんてことは考えたことがない。
自分の今目の前にある人生に真剣に向き合って生きていれば、そんなことを考えている暇などない。そんなことではいけない、などというのは、人生を真剣に生きていないか、そうする必要や欲求の無い人間のいうことだ。
だいたい、人生いかに生きるべきかなんて人生論議を、したり顔に語る人種というのは、いい加減功成り名を遂げてまださらに自分の価値を世間にアピールしたくてたまらない自意識過剰の中高年や老年か、それなりにがんばったかがんばらなかったかは知らないけれど人生のゲームに敗れるか逃げるかして後悔と不満の念やるかたならず、その無念さを濯ぐための自己正当化を目指して後進や若手に説教を垂れるこれまた中高年や老年か、もしくは若くしておのれの人生に真剣に向き合わず、知識と情報ばかりを頭に詰め込みモラトリアムのぬるま湯の中でおのれの逃げと先送りの姿勢を正当化することに傾倒するような腰抜けか役立たず、または人生の敗残者予備軍とでもいうような人間のどれかに違いない。
その証拠に、いい歳をしたおっさん連中が、独立独歩の誇りもおのれのふがいなさへの反省も個人としての尊厳もなく孤独に耐えられず無為に群れ集まり、傷を舐め合うのか腹を探りあうのか、あいもかわらぬ酒の席で、当たらず障らずの飲む打つ買うの話題に飽き、酔いも手伝って、知己の人間関係という警戒心のゆるみが前面に出てきたときに、一番の主題となるのがこの人生論議とこれに関した後輩、若手への説教だ。
そのしつこさ、くどさは尋常一様ではない。独断的な人生論議を得意げに語る酒に酔った赤ら顔のなんと醜く歪んでいることか。呆け者の痴態とでも言うしかないその行状は、見るに堪えないものではあるが、本人はいっこうにおのれの姿のみっともなさに気付かず、滔々と回らぬ舌で同じ事を何度も何度も繰り返す。その様は、滑稽を越えて、哀れを誘うほどのものになる。
さらには、その論議はかたくなで稚拙な持論の展開に終始し、聞く耳を持たず、ひたすら牽強付会、相手の話の一部分をことさらに切り取って、その話の根本には俺が指摘した問題が潜んでいる、と自分のペースに引き込むことに全身全霊を傾けて口角泡を飛ばし、頑固な意地の張り合いの、堂々巡りの議論が延々と続く。
いったいこれはどうしたことか。ここまで人間というものは、愚昧で無明になるものであるのかと、感心感嘆するしかない。しかし彼らには彼らなりに、そこまで取るに足らない自己の存在に執着してその生き方を正当化しなければならない必然性があるのに違いない。きっとそれは、自分自身の不本意さをいくらかでも薄めたい、解消したいという願望の一つの現れ、表現手段となっているのだろう。せいいっぱい暖かく好意的に彼らの行状を解釈しても、その程度にしか言い表せない。
人間とはいかに、いいわけがましいものか、また、功成り名を遂げた上に置いてもなんとあさましく他人からの賛美をむさぼろうとするものか。すべては人の感情のなせるわざ、心の弱さのなせるわざということは易しい。しかし現実に、人生論議に名を借りた独断的で自己賛美的なありきたりで無意味な教訓を聞かされ、さらにおのれの意に添う様な反応と賞賛を強要されるに至っては、その当人に軽蔑と憐憫以外の感情を抱けないのもまた真実である。
いま、自分はその中高年のまっただ中、初老の入り口の年代にいる。一滴も呑まないが故に、しらふの頭でこの酒の席での醜態の一部始終を忍耐とともに観察する。自分自身もいつこのようになることか。心の奥底に隠匿した捻れた精神の酒による解放という手段、習慣を持たない自分としては、彼らの行状をうらやましく感じることもある。しかし、それは、自分にとって本当に必要なことなのかはわからない。自分の精神のことは自分にはきっとわからないことなのだろう。
すくなくとも、自分には、人生いかに生きるべきか、などという浮ついた浅薄な人生論議をする理由も動機も欲求も必要性も無い。それだけはたしかだ。ただ、いま向き合っている人生を真剣に生きていくのに精一杯だと言えば、くだらぬ不毛な人生論議を何よりも尊しとする人種の餌食になることは目に見えている。だから、心を押し殺して相づちを打ち、ご教訓ご託言をありがたく拝聴することにしている。彼らの執拗で狂信的かつ頑迷な攻撃をかわすにはこれに勝る方策はない。
人生に対して、自分が求めるものを得意げに人に話して何になる。ただの自己満足と独善の押し売りでしかないではないか。
人生論を声高に語る者、他人にその重要性を得意げに説く者など、相手にする必要はない。ただ、こちらの人生に害毒を流し込まれないように、賢く捌いて受け流す方法を学ぶことだ。それが自分自身の人生を本当に大事にし、自分の納得のいくように人生を生きていくことにつながると思っている。
人生いかに生きるべきか、などという不毛でお節介な論議はそれこそ「くそくらえ」である。

2007年1月16日 (火)

1月16日の夢

午後もまだ早いのに、天気が崩れて雨がぱらついていた。模型仲間のミーティングの帰りに、私鉄の駅を降りたところで、2,3人の仲間と話し込んでいたら、小柄な中年のおばさんが話しかけてきた。あれ、とおもって顔をみたら、中学か高校のときの同級生だった。
びっくりしたような顔をして、大きく目を見開き、「あなた、○○くんでしょ。そうじゃないかなと思って。ここでなにをしているの?」、と言う。
驚いたのはこちらの方だ。関西出身の人間が東京の郊外の駅で、それも卒業して何十年もたってから偶然に出会うなんて事はそうあることではない。
「こっちで就職して、今、○○に住んでるんだよ。今日は趣味の集まりで、ここにいるのはその友達。○○さんこそ、いったいこんなとこでどうしたの?」と訊くと、「私も、結婚して○○県で暮らしてたんだけど、ちょっと前にこの近くに家を建てて越してきたのよ」という。
「へえ、全然知らなかったな。同窓生とは年賀状もやりとりしてないし。しかし、よく僕ってわかったねえ」というと、彼女は呆れたような顔をして、「学生時代の雰囲気そのままだもの。そのうっとおしい髪型とあか抜けないスタイル、何とかならないの?」と言ってのけた。ほっといてくれ。
「それはそうと、雨降ってきたし、時間があるならその人達と、ちょっとうちに寄っていかない?」
「いきなりおじゃまなんか出来ないよ。旦那さんも家にいるんでしょ。」
「いいからいいから、その人達も一緒にどうぞ。旦那は今外出中のはずだから、気を遣わないで」
どうやら、新築の家を見せて自慢したいらしい。それなら、と仲間と相談して、厚かましくおじゃまさせてもらうことにした。もちろん、駅のそばの洋菓子店で、自分たちの食い扶持のケーキは買って行くことにした。
家は、駅から坂を下りてしばらく行った住宅街の中にあった。古い住宅街なのだが、人口減少と老齢化の影響からか、入れ替わりが激しくて、あちこちリフォームされたり建て替えられてまっさらになった家が目立つ。すぐそばに公園があるので開放感があって明るいけれど、起伏が多い地形なので、その地形を利用して半地下にしたり高い石垣にせり出すように建てられた家が並んでいた。
彼女の家は、坂を下りきった公園のすぐ前の角地にあった。家の外見は昔一時はやったことのあるコンクリートの打ちっ放しだ。曲がり角が玄関になっていて、玄関のドアまではかなりの高さの階段を上らなければならない。中二階が玄関になっているような造りなのだろうか。ドアは重厚な広葉樹の凝った造りだった。
中にはいると、せまい玄関フロアがあって、その奥に、3つ部屋がカギの字型に並んでいた。玄関のフロアは濃い色の板張りに真っ白なクロス張りの壁なのに、その3つの部屋は純和風で、畳敷きに総檜の造作と聚楽塗の壁が目立つ。窓は綺麗な意匠の指物細工をあしらった障子がはめ込まれていて、外観からはなんとなく想像が出来ない家の造りだった。
その部屋でコートを脱いで、ハンガーにかけてから、リビングの方へ案内された。リビングとダイニングは離れのようになっていて、廊下をとおっていく。その廊下はこれもコンクリートの打ち放しで、床も壁も天井も曲線で構成されていて、まるでコンクリートの洞窟か土管のようだった。ところどころに、まるい窓が開いていて分厚い磨りガラスがはめ込まれている。これが明かり取りになっていて、廊下はとても明るい。このデザインにはちょっと感心した。
途中で右方向にすこし狭いトンネルのような通路があったので入ってみたが、そこは行き止まりになっていた。ただ、天井の部分は大きく開いて曲面になったガラスがはめ込まれて明かり取りを兼ねているらしい。窓の外には植物が覆い被さっているのが見えた。どうやら、その通路は庭の地下に位置しているようだ。建物の上に庭を造っているのだろうか。妙な構造で、このあたりでもう、建物と部屋の位置関係がよくわからなくなった。
「すごい変わった家だね。建築家にたのんだの?」と訊くと、彼女は「そう、この地形がおもしろいからって、ずいぶんと凝っていろんな実験的な設計をしてくれたみたいよ。住んでて飽きないわよ。どこに何があるか、毎回驚かされるような気分で、結構気に入っているんだけど」と答えた。
リビングも、コンクリートの打ち放しに、黒い鋳物の手すりが巡らされたしゃれた空間だった。白木の天板に細くて黒い鋳物の足を組み合わせた簡素なテーブルと椅子が無造作に置かれていて、なかなか現代的ないい雰囲気を醸し出している。
余り広くはなかったが、その奥にダイニングとキッチンのスペースが細長く続いている。そこでお茶にするのかと思ったが、そうではなくて、この下にも部屋があるので、そこでケーキをいただきましょう、と言う。どうやらその部屋が自慢らしい。
どこから降りていくのかと思ったら、リビングの端っこにあるポトスの植え込みの影に、同じように複雑な曲線文様をあしらった黒い鋳物の手すりがあった。そこから、螺旋階段で、地下の部屋に下りていくらしい。螺旋階段は、凝った鋳物製で、足下が透けて見える。地下の部屋の床は、いろんな色の玉石のようなタイルが敷き詰められた、まるで前衛の美術館にあるような部屋だった。
床に降りたって廻りを見回すと、そこは正確には地下室ではなくて、半地下といっていいところだった。天井と壁の間に隙間が空いて、そこから光が差し込んでくる。大きさは思ったより広くて、幅4メートル奥行き8メートルくらいある。こんな大きな部屋を何に使うのかとおもったが、自由にいろんなものを置いたりくつろいだりする庭として使うというコンセプトらしい。不思議な考え方だが、天井近くから差し込んでくる光の加減が、独特の陰影をつくって、なんとなく安らぎを与えてくれる。ちょっといいものを見せてもらったような気分になった。
一緒に来た模型仲間達は、この空間を見て、ここに模型鉄道のレイアウトを敷いたらたのしいだろうなあ、などと話している。何を見ても鉄道模型に結びつけてしまうのだから始末が悪い。こまったものだ。しかし自分も同じようなものかと思いながら、目を覚ました。

2007年1月15日 (月)

寒さ対策

今朝は今年一番の冷え込みだという。たしかに昨日の日曜からの寒さは尋常ではなかった。
もともと寒さには弱いので、朝風呂に入って体をあたため、何とか一日の滑り出しをと思ったけれど、結局はカーペットの虫になって、10時過ぎまでごろごろ。お昼前になって、やっと近くの公園までラジコンボートを浮かべに行った。
昼間は日差しがあって少しは暖かく感じるけれど、風が冷たい。ボートの充電池も気温のせいだろうか、すぐにへたってしまって、スピードボートのはずがのろのろと走る貨物船のようで、とんがったスタイルと速度のミスマッチが情けなくてたまらなかった。
北海道に住んでいたときは、この季節は完全に外は雪の中。真っ白の世界で、それなりに美しかったし、寒さも覚悟が出来ていたからだろうか、それほどにも感じなかったように思う。就職して最初に入った寮の風呂が壊れて銭湯に通ったときは、帰りにタオルを振り回すとあっというまに凍り付いて棒のようになってしまったものだった。それでも寒いとは感じなかったのに、最近やたらと体が冷えるのは、やはり年齢のせいだろうか。
若い頃は筋肉量が多くて、基礎代謝量が多いので、体からの発熱が大きくて寒さにも強い。だから、いくらでも食べられるし、食べても太らない。歳を取ると生理的に基礎代謝量が減少するので体からの発熱が押さえられる。加えて食事の量はあまり減らないのに、贅沢な食事をすることが出来るようになるので、その分が皮下脂肪に回って太り出す。皮下脂肪が断熱材として機能すればそれでいいように思うのだが、寒さを感じる感覚神経は皮膚表面にあるから、結局寒いと感じる事には変わりないし、皮下脂肪のおかげで皮膚表面近くの毛細血管も萎縮しているから、よけいに手足の冷えが起こるようになる。
人間の体って、良くできているように見えて、あんまり合理的ではない。これが、むかしのように暖房機器や暖かい衣類が発達していない環境だったら、体の方が適応して、もっと寒さにも強くなっていたかもしれない。が、子供の頃は、しもやけとかあかぎれ、ひびなど、寒さに起因する皮膚障害が結構普通にあった。それを当たり前と感じるかどうかの差なのだろう。
だからといって、昔のように我慢大会的な生活がいいとはおもわない。北海道にいた頃には、部屋の中はストーブを焚いてほんとうに暖かだった。シャツ一枚で外の雪を見ながら、冷えたビールのジョッキを傾け、アイスクリームを食べるようなことだって、不自然ではなかった。外に出るときは、Tシャツの上に厚いキルティングやダウンのオーバーコートやパーカを着て、それで快適に外を歩いていたように記憶している。長時間になると手や足先の冷たさは感じたけれど、それもそんなに気にはならなかったし、暖かい部屋に帰るとすぐに回復した。体が低温の環境に適応していたのかもしれない。そういえば、今の生活に比べて、相対的に体を動かしていることが多かったようにも思う。場合によっては30度を超える屋内と外の温度差が、代謝を促進する効果もあったのだろうか。
それにくらべて、今住んでいる地方の生活様式は、家の中自体の温度が低い。必然的に部屋の中でもこたつに潜ったり、厚着をしたりして、じっとしていることが多く、相対的に運動量が少なくなっている。その上、外気温との差がせいぜい15度くらいのものだから、体が低温の環境に適応するには、インパクトが足りないのかもしれない。
昨日など、からだが冷え切るたびに、沸かした風呂に飛び込んで、なんとか体を温めていたつもりだったが、上がってすぐはよいものの、しばらくするとかえって冷えがおそってくる。特におなかのあたりの冷えは顕著で、3回目に風呂のあと、なんとおなかの調子がおかしくなったのには往生した。いったいどうなっているのだ。
とにかく、これから2月にかけて、一番寒い時期になる。こまったものだ。からだの外から暖めるのではなく。なんとか体内の基礎代謝を向上させて、内側から温まるような体になるような工夫は無いものだろうか。
とりあえずは、低い外気温の中で運動することだろう。しかし、この年齢になると強度の運動などやれるわけがない。ここのところ続けている昼休みの30分ウオーキングを早足で続けるのが一番手っ取り早いかもしれない。
とにかく、じっとして暖かいものを食べたり飲んだりする方法では、この寒さに抵抗する事はむずかしい。動き回ることが大事なのだ。とはわかっているのだが、今の仕事は室内での事務処理がほとんどだ。これはもう、拷問に近い。なんとかこの束縛の中で運動量を稼ぐ方法を考えないといけないと真剣に思っている。

2007年1月14日 (日)

ものを手に入れるのに費やす時間

ものを買うのに、とても時間がかかる。コンビニに昼食のサンドイッチを買いにいっても、すべての種類を見比べ、値段を見比べて自分のおなかのすき具合を考慮して、棚の前で沈思黙考する。
カツサンドは論外。これは自分の容量と好みを完全に逸脱している。こんなもんたべるなんて、どんな野蛮なやつなんだろう。今日はハムタマゴチーズサンドにしたいな。けど、これだとすこしおなかにもたれそうだ。だからといってシャキシャキレタスサンドにしたら、これはちょっとカロリーが足りなくてあとで何かお菓子を食べたくなってしまうだろうしなあ。卵サンドと合わせわざと言う選択もあるな。
けど、2つ食べると完全に容量オーバーだしなあ。卵サンドって一見軽く見えるけれど、結構油っぽいんだよなあ。あれはよくない。ポテトサラダサンドがあるぞ、これは一見ヘルシーみえるけれど、わりにボリューム感があるんだよな。それに、前に食べたときは、なんだか酸っぱくておいしくなかったし、あとから妙に腹にもたれてこまったしなあ。
お、なんだ、フルーツクリームサンドだって? これは初めてだなあ。イチゴとキウイとパインと生クリームのサンドって、まるでお菓子みたいだな。え?300円もするの? 高い! こんなお菓子みたいなもんで、この値段は絶対に高い。でもいちど試してみようかな。そのかわり、飲み物はパスして、緑茶で我慢することにしよう。でもなあ、味はどうかなあ。クリームとフルーツの味のバランスはどんなもんだろう。クリームがあんまり良くなかったら油っぽくてあとで胃にもたれるんじゃないかな。それに、こんなお菓子みたいなものを昼食にしたら、栄養バランスが崩れそうかな。でも、いちどは試してみたいなあ。まあ、いいか、ええい、清水の舞台から飛び降りた気持ちで初挑戦だ。
などと、いろいろと熟考の末にやっと一つサンドイッチを取るまでの時間が、だいたい5分から10分くらいはあるように思う。皆さんを見ていると、棚の前にいる時間はせいぜい12、3秒くらいで、さっと迷わず決めておにぎりやサンドイッチやお寿司やお弁当などを手に取っていく。あれは、どういう神経なのだろう。コンビニの扉を開けて入ってくるときから、これと決めた食べ物を心の中に持って棚に突進してくるとしか思えない。あんなふうに買物が出来るというのは、脇目も振らずというか、シャーロックホームズの映画で見た様な辻馬車の馬のように目の横に板みたいな目隠しをされて、前だけ見て走って暮らしているようなものではないかとさえ思う。
だいたい、コンビニで食べ物を選ぶ場合に限らず、どんなものでもそれがどんなものなのか、手に取って試してみたり、試食してみることが出来ない場合は特に、こうやって迷う時間が長くなる。食べ物の場合はまだいい。家具や電気製品などの耐久消費財や、趣味関係のものに至っては、その時間は膨大というか、自分でもあきれてしまうくらいのものになる。実際にそれを手に入れたときの使い勝手や満足度、はては収納場所や使う回数まで考える。
趣味の模型工作関係の道具やキットなどの場合、昔は雑誌の広告やカタログを穴のあくほど眺め、その製品の写真から、構造や使い方まで想像し、最後はほとんど頭の中に立体映像モデルが出来上がって、自由にいろんな方向から眺め回したり、分解して部品を取り出したり、内部の構造を透視することさえ出来るくらいになっていたものだ。でも、どういうわけか、実際にお店に行って、店員に質問してその製品の情報を訊いたりすることは少なかった。実際にその製品が店頭にあって、触らせてもらえる場合や、非常に趣味的な店員がいる場合は別だが、そうでない場合は、生半可な店員では知識が無いことの方が多いから、返って煩わしかったりもするからだ。
最近はインターネットで通信販売を利用することが多くなったせいもあって、丁寧に検索すると実にいろんな情報が手に入る。だから、迷う時間が少なくなったかと言えばそうではない。返って長くなった。情報を仕入れてそれを吟味し、迷うこと自体が自己目的化してしまっているようにさえ思えることもある。それが楽しみの一部かと言われると、そうではない様な気がするのだけれど、飽きずに通販ページの写真や解説を眺め、その製品の評価や評判のページを検索して読みふけり、それでもわからないところは、その筋の掲示板に質問したりして、いっこうに購入というステップに進まないまま、時間だけがどんどんと過ぎていく。
そうやって、その製品をほとんど知り尽くした後でも、実際に現実世界の店頭で実物を見る機会があったら、またおなじように、コンビニのサンドイッチの棚の前で迷うように、手を伸ばしかけては引っ込めて、延々と逡巡することになる。
最近になって、やっと、自分はこの逡巡を楽しんでいるのではないかということに気がついた。というのは、さんざん検討し、逡巡した上で手に入れた製品を、長らく放ったらかしにしておくことがおおいのだ。通販から届いたり、店で買って家に持ち帰った品物は一応は封を切って中身を確かめる。でも、そのあと、模型キットや材料であっても、工具であっても、そのまましまい込んで何ヶ月も立つということがざらなのだ。酷い場合は1年、2年そのまま手つかずで置いてあるという場合だってある。だからといって、手に入れることだけが目的で、手に入れてしまったらもう満足して、なにもしないというわけではない。1年、2年後に急に思い立って、引っ張りだし、いじり回したり組み立てだしたりすることが当たり前になっている。
つまり、自分に取って本当に欲しいもの必要なものを選別するのにものすごい時間をかけただけ、手に入れた後同じだけ寝かせていても平気になっているのかもしれない。趣味嗜好のものの場合は特にそうなのだろうけれど、時間をかけて決断したものは、必要としなくなるまでの時間、飽きるまでの時間が長いという関係にあるのだろう。

2007年1月13日 (土)

2人の石切り職人

あるコラムで「2人の石切り職人」という寓話が紹介されていた。
教会の建設現場に2人の石切り職人が働いていた。旅人が1人の石切り職人に、あなたは何をやっているのか、と聞いた。すると、「俺はこのいまいましい石を切るために悪戦苦闘しているんだ」という答えが返ってきた。もう1人の石切り職人に同じことを聞くと、2人目の男は目を輝かせて「私は人々の心の安らぎの場となる素晴らしい教会を作っているんです」と言ったという。
コラムの筆者はこの寓話によって、同じ仕事をしていても、その彼方に何を見ているかが全然違う、モチベーションの持ち方とモラールが大事だ、と結論している。つまり、考え方次第で、どんなつらい仕事でも、苦労と感じることなど無く、誇りを持っていそしむことが出来る、そうならなければならない、そうなることが理想なのだ、と諭している。
なかなか良くできた話のように思えるかもしれない。しかし、これは、経営者や使用者に都合良く構成された、底の浅い稚拙な精神訓話だ。この話の底に流れる考え方は、仕事を合理的、効率的に実行し、最大の成果が期待できるように改善していく上で、もっとも大事なことを意図的に排除している。
真に必要な技術の開発や仕事のやり方の改善を考えないで、ひたすら働く者のモチベーションの持ち方と根性、モラールに期待するというのでは、理屈も何もあったものではない。こんな話をまじめな顔で滔々と社員に説く経営者がいたら、その会社の将来は無い。
本当に仕事を効率的、合理的に、そして楽に行おうとするのなら、問題点をしっかりと把握、分析し、その対応策を考えていかなければならない。少なくとも能力のある技術屋や現実主義者(リアリスト)はそう考える。
だから、技術者の目、リアリストの目からは、引用した寓話の中でより需要なのは、最初の職人の答えの方だ。もっと速く正確に石を切る道具を採用したり新たな技術を開発すること、またはこの職人を教育して技術に習熟させることが、より楽により速く、人々の心の安らぎの場となる素晴らしい教会を建設することにつながると考える。
また、二人目の職人が、一人目の職人と同程度の技量の持ち主だとするならば、彼は仕事の改善や成果の向上には役立たない無価値かつ無能な人間だ。自分のやっている仕事の質や方法のまずさ、問題点を顧みず、ただその目的が崇高なものであるからと言う理由だけで、能率の悪さ、技術の稚拙さに目をつぶり、宗教的幸福感の中で苦行をする人間のように、疑問を持つこともなく危険でつらい仕事に従事するというのは、ばかげているとしか言いようがない。
だが、現在の職場でも往々にしてこのような教訓話が横行している。特に経営者向けのビジネス雑誌などでは、こういうタイプの論法が普通に見られる。そこには、客観的に現場を見、問題点を洗い出し、質的、量的に具体的な計量と分析を行って、冷静かつ合理的に問題解決の方法を探るという姿勢が根本的に欠如している。
製造業、小売業、サービス業、すべての現場では、もっと現実的かつ実質的な技術的対応がなされているはずだ。そこでは、具体的な技法、処理テクニックの情報伝達と改善が、効率良く適切に仕事を遂行する基本となっている。その基礎の上に、仕事に対するモチベーションやモラールというものが加わって、初めて最大の効果を期待することが出来る。
いや、別に働く人間にモチベーションやモラールなど無くても、求められる仕事に対応した技術が極限まで発達し手順が確立されていれば、こんな精神論を加味する必要なしに、一定水準以上の成果が期待できるはずだ。そこに、感動とか満足とか、感情的な要素を求めなければの話だが。
だから、現場の現実的な問題の提起を不平不満ととらえて却下し、働くもののモチベーションやモラールを必要以上に持ち上げるような精神論は、合理的科学的な観点からは有害無益でしかない。けれどもそれを認め、現実主義者的な立場から仕事を見つめ改善していくことはなかなか難しい。
人というのは感情的な動物なのだ。現実を直視するよりも理想にあこがれる。一つずつ問題を分析し、地道な改善をする努力の代わりに、精神的なよりどころやまがいものの救いを求め、目の前の困難や苦労を忘れようとする。そこを利用して、指導者、経営者は美しい精神論を展開し、優位に立って社員や部下、民衆を誘導し、思うように働かせたり動かしたりする。技術屋的性格を持つリアリストには、出来ないわざだ。
ある意味で、これもまた一つの技術、アートなのだろう。善し悪しは別にして、客観的に評価してよい技術であると思う。しかし、願わくば、そういう技術に長けた人間とは関わり合いたくないと思う。

2007年1月12日 (金)

1月12日の夢

植物関係のレポートをまとめているらしい。
この間行ってきた実習で採取して新聞紙の間に挟んであった標本を開いて取り出し、観察しながら、その植物に関係する記述を書いていく。
一旦乾燥した標本は、必要な部分を折り取って、シャーレに入れ、お湯をかけてふやかしてから、良くとぎすました細いピンセットと針で組織を壊さないように開いて実態顕微鏡で花芽の構造などを調べる。そうやって、写真を撮ったり、スケッチをしたりして、特徴を書き留め、種を同定する作業をするのだ。そんな作業をする傍ら、この植物に関する一般向けのお話も書かなければならないので、ちょっと憂鬱だった。
論文ではなくて、一般向けなので、どの様に書けばいいのか見当が付かない。あちこちの雑誌の記事を参照しながら、普通の人にも興味のありそうなエピソードを付け加えながら文章をまとめていくのだが、なかなか思うようには話が展開していかないのだ。
ある高齢の植物採集家の雑誌連載記事が非常に博識で面白かったので、この記事を参考にして文章をまとめ始めたが、手元には必要なバックナンバーがない。困って、雑誌の目次と筆者紹介の欄をみると、なんと、その植物採集家は、現在自分のいる組織の研究部門の顧問として働いていることがわかった。これは直接会って、いろいろとご教示願うに越したことはない。さっそく、尋ねてみることにした。
今いる本館は東西に長い南向きの5階建ての建物で、3階の西端にあるわたり廊下で彼のいる南北に長い新館のちょうど真ん中あたりにつながっている。渡り廊下の下が、新館の入り口になっていたはずだ。彼のいる部屋はその北端の一階にあった。
新館は、本館と違って、近代風でまるでビジネスオフィスのような雰囲気だったが、一歩部屋にはいると、そこはやっぱり雑然と書類棚や机が置かれ、文献や標本が所狭しとならんで散らかっていた。外からは綺麗に見えたのに、部屋の中は煉瓦造りの本館とおなじように、天井には冷暖房や電気配線、ガス配管のパイプやダクト類がむき出しになっていて、ほこりが厚く積もっている。いまは冬の朝も早い時間なので、暖房が温まるにしたがって、配管が伸びて断続的にハンマーで叩くような高い金属音をたてる。
「誰かいませんか」と声をかけると、古ぼけて乱れた書類が乱雑に詰め込まれた書棚の裏から、白髪の小柄なじいさんが出てきた。「おお、待ってたよ。言ってた雑誌は出しといたけど、これが役に立つとはうれしいねえ」、と相好をくずしてうすいピンク色の風呂敷につつんだ5冊ほどの雑誌を手渡してくれた。
おもわず、恐縮して礼をいって、風呂敷包みをうけとり、中をひらくと紙が焼けて茶色くなった雑誌が5冊、表紙にはレトロなタッチの植物画が描かれ、その上にアルファベットで題名が重なるように印刷されていた。
あれ、これは日本の雑誌じゃなかったのかな、と顔をあげると、じいさんはにやにやしながら、「これが、原本じゃよ。インドネシア語。あんたが読んだ日本語版は、誰かがプライベートに翻訳して、私費出版したものらしいな」という。
それで冊子がそろっていなかったし、記事の文章もなんだか変に感じたのだなと、今頃になって気付いた。それでも、内容はとても貴重なものだったし、ぜひとも引用をさせてもらいたいところもある。でも、インドネシア語は、なんとかおぼろげに覚えているだけで、こんな文書を読む能力はないので、途方に暮れてしまった。
「読めんとな。勉強不足じゃのう」といわれて、恥じ入ってしまったら、じいさんは、「本館の方に、確か翻訳機があったはずだから、そちらに一緒に行って、翻訳してもらうかね? この本もそろそろ電子化しておかないと、傷んでだめになってしまうから、気になってたところだったのじゃわ」と言って、雑誌をまたピンクの風呂敷に包み直し、さっさと部屋を出て、本館のほうに歩き始めた。自分はあわてて後を追う。
本館へは、渡り廊下を通らずに新館の玄関をでてから花壇の横をとおり、わざわざ本館の中央にある玄関から入った。いつもこうするのだという。渡り廊下を使うなどと言うのは、由緒ある煉瓦造りの本館に対して失礼だというのだ。なんだか時代錯誤な感覚のじいさんだと思ったけれど、それなりに譲れない感覚があるのだな、と後ろ姿をみながらそう思った。
書籍の電子化と翻訳は、本館の地下図書館の付属施設として設けられている。地下に降りるにはエレベーターを使う。エレベーターの扉は真っ黒で、内側はつや消しの濃い緑色に塗られていた。地下の図書館の壁も全体に緑色の色調でまとめられている。エレベーターを出ると、どこかのIT産業会社の受付みたいに現代風のガラスの仕切りの後ろに受け付けデスクがあって、そこに黒人のでかいおばさんがむっつり顔ですわっていた。彼女が司書らしい。
じいさんは、なにやらスワヒリ語らしい言葉で彼女に挨拶すると彼女の機嫌が急に良くなる。いろいろと人間関係がむずかしいらしい。それから、じいさんは、私にペンを渡して、黒人のおばさんの指示にしたがって手続きをするようにいって、すたすたと図書館の奥に入っていってしまった。
書類を見ると、これが全くわからない言語で書かれている。どこに何を書き込めばいいのかさっぱりわからない。前にはおばさんが怖い顔で、待っている。どうしたらいいのか困ってしまったところで目が覚めた。

2007年1月11日 (木)

応接セット

たいていの会社の社長室や部長室などには、部屋のいちばん良い場所に応接セットが置かれている。低いテーブルとソファのセットだ。革張りの豪華なソファに木の厚板だったり金属枠にガラスがはめ込まれたテーブルの応接セットである。これで天井からシャンデリアでも下がっていれば、まるでどこかのクラブかバーの席だ。
場合によっては各課の一番中央にこの応接セットがでんと位置を占めている。来客が会った場合にここで応接するのだ。しかし、来客を応接するその内容は、たいがいは商談や事務打ち合わせだ。本来ならば、柔らかいソファに反っくり返って座って出来るようなものではない。それをあえて、この応接セットで行う。
課内の会議や幹部が集まって行う会議も同じようにこの応接セットで行われる。資料を広げて検討したり、頭をフル回転させて議論をするには、とてつもなく不適な環境だと言わざるを得ない。どうしてこういうスタイルが定着したのだろうか。
相手や場合にも寄るだろうが、応接セットの豪華さなどで、相手を圧倒したり、懐柔したり、自分の都合の良いように商談や議論を持って行くのに好適な舞台装置として使われてきたという経緯があるのかもしれない。が、そんなやり方はもう、過去のものだろう。
最近の近代的なオフィス、特に欧米化されたオフィスでは、部屋の片隅に仕切りのあるブースが設けられていて、机と椅子がおかれていることが多い。通常の応接や、商談、少人数のミーティングはここで行われる。事務的な効率性から言えば、これがいちばんだ。実際のところ、こういう場所で応接される方が、部屋の真ん中にでんと置かれた革張りソファと低いテーブルで応接されるより、遙かに快適だし実務的な議論が出来る。なのに、いまだに、多くの会社や役所などでは、ソファと低いテーブルの応接セットが幅をきかせている。
よく見ていると、そこで行われているのは、応接といってもくつろいでくだらない雑談をしていたり、商談であっても実質的なものではなくて相手の腹の探り合いだったりすることが多い。バーやクラブでの接待の延長か変形版といっても過言ではない。革張り応接セットというものは、そういう目的と用途を満足させるために設計されているのだから、当たり前といえば当たり前の話だが、これでは客観的、合理的な感性とスピードで効率的な商談、会議、仕事が出来るわけがない。完全に時代錯誤の応接の仕方、会議の仕方なのだ。
さらに、いまでこそ少なくはなったが、かつては終業時間後、この応接セットで課長や幹部が取り巻きをあつめて職場での酒盛りを始めたものだった。残業でいそがしく働く人間を横目に、こわだかに自慢話やうわさ話、くだらない会話を延々と続けて、お互いの親密度を高めるという、彼らにとっては何よりも大事な集団儀礼の演習を展開するのだ。
これをやる世代は、はっきり言って団塊の世代以上の人間達だ。彼らはそうやって仕事を覚え、人脈をつくり、一人前になったと部下に説教をたれ、ときにこういう職場の酒盛りを強要する。若手は、理性的に損得を勘定し、打算の上で幹部の団塊世代にへつらってこの酒盛りにつきあう。そんな風景がまだみられるところもあるだろう。
時代はどんどんと変わりつつある。こんな慣習を持つ会社や組織は、早晩、時代から取り残されていくだろう。合理性と効率性を重んじるスマートな仕事を望むものからは相手にされなくなっていくだろう。
しかし、会社にソファと低いテーブルの応接セットがある限り、この時代遅れの文化はそう簡単には廃れない。舞台装置が環境を演出し、それによって人々の行動が影響されるからだ。これを変えるためには、まずオフィスから革張りソファと低いテーブルを駆逐しなければならない。机と椅子の会議テーブルに変えた時、どんな変化が訪れるか。身を持って体験した者として、その効果の絶大さを保証する。不適当な舞台装置を取り替えてしまえば、かつての特定の舞台装置に過剰適応した者たちも自然と駆逐される。環境を変えることによって、淘汰を行う。これは、自然の摂理にも合致した合理的なやり方だ。
まずは、環境を変えることだ。それは、自分の個人的な生活にも言える。形式から入る、型から入るということを馬鹿にしてはいけない。自分が行き詰まったとき、何かしら環境を変えてみること、これまでの自分のやり方とは違った新たな型を模倣して試してみることが、有効だと思う。

2007年1月10日 (水)

1月10日の夢

ハワイにいるらしい。日本に帰る予定で、荷物の整理などをしている。フローリングの細長い部屋には、こちらに来るときに持ってきた嫁さんの婚礼ダンスが並んでいた。フローリングの床は、口の開いた段ボールに詰めかけの衣料品や雑貨が散らばっていて、足の踏み場もない。嫁さんは、シールパックにはち切れんばかりに詰めた切り干し大根を、茶色っぽいバッグに入れようとしている。これ、おいしいんだから、と何度も言うのでそのたびに相づちを打たなければならない。
家具は置いていくのかと思っていたら、嫁さんが、婚礼ダンスは置いていくわけには行かないといいだした。こんな大きな物どうして持って帰るのか、と一瞬困った。これから運送会社に行って運賃の交渉をしたり手続きをしている暇はない。これはこまったことになったな、と腕組みして考え込んでしまった。
すると、嫁さんは、それなら飛行機の手荷物として持って行けばいいじゃない、という。そのときは、ああ、そうか、家族全部で4人もいるし、大丈夫なんだろうなと、よく考えもせずに納得して、とりあえず、薄い布で婚礼ダンスを包んで細いビニールのひもをかけた。こんなんで、大丈夫だろうか、と聞くと、嫁さんは、手荷物だから大事に扱ってくれるから大丈夫よ、と自信ありげに答えた。
それから、地下鉄で空港に向かった。地下鉄は銀色と赤に大胆に塗り分けられたいかにも未来風の車両で、これがハワイ島の地下をはしっているということに、ちょっと驚いた。室内は綺麗で、白っぽい壁にハワイの名所のシルエットがデザインされていた。おそらくゴムタイヤ式の走行装置なのだろう。音が静かで、車輪が線路の継ぎ目をたたくハンマー音が聞こえない。荷物は宅配便で先に空港に送ってあるはずだ。
空港についてから、時間があったので、チェックインの前にショッピング街のレストランで食事を取ることにした。一番奥の広めの机に陣取って、持ってきた手荷物と切符を調べていると、切符の裏に手荷物の重量制限が30キログラムと書いてあった。そんなこと、普通に考えてもわかっていたはずなのに、そのときになってやっと婚礼ダンスを手荷物として持って行けないことに気がついた。持ってきた段ボールやバッグだけでも危ないかもしれない。あわてて、宅配の受け取り場所に行ったら、案の定、婚礼ダンスは受け取れないと言うことで、外の倉庫に置かれているという。
何とかならないかと聞くと、別の貨物便の扱いで送ることが出来るから、空港を出て貨物便の事務所で手続きをするように言われた。しかたがないので、一旦レストランに戻って、嫁さんと子供達に待っているようにいい、事務手続きをしに行くことにした。
途中でトイレに行きたくなり、総合案内でトイレの場所を聞くと、飛行場の建物の外側、貨物事務所との間にあるという。そこは、なんだかアジアの公衆便所のようで、ちょっと場違いな雰囲気だった。入り口は、粗いモルタルの壁に塗られた漆喰が、汚れてはげ落ちていて、扉もない。中へはいると、しきりもなく男性用の小便器がいくつか、壁にそってL字型にならんでいた。床はタイルで壁際に排水溝がある。これなら、小便器におしっこをしないでも、そのまま床にすればよいのに、なんで小便器があるのかわからない。
便所は結構混み合っていて、たくさんの人が並んで小便をしていた。気がつくとみんな半裸だった。どうやらここはシャワールームを兼ねているらしくて、入り口の方を振り返ると、脱衣場があった。だからシャワーを浴びない人もここで靴とズボンを脱いで下半身はだかになって小便をする。自分は靴を履いたままだったので、横の人ににらまれて、あわてて脱衣場に行って靴とズボンを脱いだ。
これでは足がシャワーと小便が混じった水がつくので気持ちが良くない。でも、気温がすごく高くて乾燥しているので、出口にある、綺麗な水が流れているコンクリートの溝で足を洗って外へ出ると、すぐにきもちよく乾いてしまった。
それから、貨物事務所へ行って手続きをした。手続きは簡単だったように思う。ただ、梱包をし直さなければならないと言うことで、その方法と料金を説明してもらって理解するのに時間がかかった。一応丁寧にやってくれるらしい。というのも、ここで生産された家具を日本に輸出する業者がたくさんいるので問題ないのだという。
作業場を見に行くと、まだ白木のままの木製家具がどんどんと運び込まれて梱包されていくのが目に入った。これは、半加工品で、これを日本の工場で仕上げて、客の好みのニスを塗って仕上げるのだそうだ。完成品でないというのが不思議に思った。
手続きを終わって、帰ろうとしたら、搭乗時間までほとんど時間がないのに気がついた。これではレストランまで帰っていては間に合わない。どうしようかと思ったが、携帯電話で連絡をとって、嫁さんと子供に先にチェックインゲートにいってもらうことにした。
ところが、建物の中は携帯電話の使用が禁止されている。あちこち携帯電話をかけられる場所を探して走りまわり、ガラスの大きな扉の外側でやっと使用できるという表示を見つけた。
そこで、いそいで携帯電話を開くと、画面が真っ黒だった。電池切れたのかと焦ったが、どうやらそうではなくて、どういうはずみにか機能がすべてリセットされてしまったらしい。あわてて、起動ボタンを押すと、見慣れた待ち受け画面とは全く違う画面が現れた。黒っぽい画面に小さな緑色の文字が間隔を置いてランダムに並んでいるように見える。バックにはうすく同心円状の模様が描かれて、そこここに奇妙なマークや矢印があって、これが操作方法を示しているようなのだがさっぱりわからない。
上の方に、メールというボタンを見つけてこれを選択してみたが、メールソフトの使い方がさっぱりわからない。もちろん通話さえも出来ない。いろいろいじくっているうちに、右上に半分画面にかかったダイヤルのようなパーツがあったのに気がつき、これを回すと、いきなり画面が銀色の穴の開いたプレートで覆われてしまって、見ることさえも出来なくなった。いそいでダイヤルを元に戻して、プレートを引っ込めた。
それから、当てずっぽうで操作ボタンを押して、各種の操作モードを探す画面を呼び出すことが出来た。その中に、見慣れた待ち受け画面のアイコンがあったので、これを選択して、やっと以前に使っていたシステムに復帰することが出来た。が、電話がつながらない。やっぱり通話は出来ないようだ。それならメールで何とかなるだろうと考えて、メール送信画面を出したら、これまでのすべての記録が消えていた。嫁さんのメールアドレスは覚えていない。これではメールが出来ない。レストランの位置もどのあたりにあったのか迷ってしまっているし、これではもう、どうしようもないと焦って呆然としたところで目が覚めた。

2007年1月 9日 (火)

ヒマつぶしという言葉

普通に仕事や生活をしていて、ヒマだと感じたことなど一度もない。だから、ヒマつぶしという感覚自体がどうしても理解できない。
だいたい、ヒマというのはどういう状態を言うのだろう、とあらためて疑問に思って広辞苑をひいてみた。
「ひま」は、「隙、暇、閑」と3つの書き方がある。それぞれによって微妙に意味が違うようで、語釈が8つも並んでいる。
1.物と物との間に透いたところ。すきま。すき
2.継続する時間や状態のとぎれた間。
3.仲の悪いこと。不和。
4.仕事のない間。てすき。閑暇。
5.都合の良い時期、、機会。
6.何かをするのに要する時間。手間。
7.雇用・主従・夫婦などの関係を絶つこと。
8.休暇。休み。
語釈というものは、一般に使われる頻度の高い物から並んでいるのかと思っていたが、かならずしもそうではないらしい。3番目の「仲の悪いこと。不和」なんて意味は初めて知った。
それはともかく、これを見ると、現代の社会生活のなかで「ひま」と言う言葉をもって表しているのは、4番目の意味がほとんどだとおもう。ということは、仕事に追われている以外の時、普通の人はヒマと感じると言うことなのだろうか。
なにかおかしくはないか。
自分の人生の時間の中で、仕事というのはほんの一部でしかない。その他の時間は、食べたり飲んだり睡眠を取ったり、本を読んだり運動したり、おのれの興味のあることをすることでいっぱいになっているのが普通であるはずだ。そういう活動も人生のいとなみとして考えればりっぱな仕事であると言える。
ヒマ、などということを感じる人は、自分の人生を軽く見過ぎているのでは無かろうか。もしくは、他人から与えられたか命令されたことをすることだけを「仕事」と認識している。そしてそれ以外の事柄は自分にとって意味のあること、重要なことと考えていないのではないだろうか。
つまり、根本的な考え方、自分の人生に向き合う態度が受動的なのだ。ヒマですることがない、という人は、自ら能動的にやりたいと思うことが無いのだ。だから、ヒマつぶし、などという言葉や感覚がうまれるのだろう。
辞書の記述を目で追っていくと、用例に、「隙を潰す」というのがあったので、そちらも見てみた。
・ひまな時に、何かする事を見つけて時間を費やす。
とあった。
呆れた。
まず「ヒマ」という定義自体があやしい。おそらくは語釈4の「仕事のない間。てすき。閑暇」だとか、語釈5の「休暇。休み」のことを想定しているのだろうが、その間に、「何かすることを見つけて」という感覚が理解できない。ここで言う「仕事」は、先に触れたように、報酬を得るための作業や、自ら望んですることではない作業だ。それが無いときに、なんで、「何かすることを見つけ」なければならないことになるのだ。そんなもの「見つける」までもなく、目の前にいっぱい転がっている。「何かすることを見つけて時間を費やす」などという感覚はいったいどこから来るのだろう。
横になってゴロゴロすることだって、ぼんやりと音楽を聴いたりテレビを見たりすることだって、自分にとっては、やりたいこと、やらなければならないこと、時間をついやさなければならないこと、のリストにあがっている。どのように自分の人生の時間を使うかということを考えたら、「ヒマをつぶす」などという発想は出てこないはずだ。
ひょっとしたら、「ヒマをつぶす」という感覚を持っている人は、自分の人生の時間というものを意識していないのではないだろうか。いつまでも生きていられるとおもっているか、自分が生きているということそのものを理解していないのではないか。
うらやましい話でもある。自分が死ぬこと、死ぬまでの時間を意識しないでいられるというのは、無知で愚かな人間でないと出来ないことだ。しかし、そういう人間は、死を恐れることも自分の人生の意味を考えることもない。動物や虫と同じだ。ただ生きている。そこに悩みが生じることはない。考えようによってはこれほど幸せなことは無いと思う。
人それぞれに生き方はある。ヒマをつぶせる人間と、ヒマというものを感じない人間と、どちらが幸せか、自分には判断が付かない。
ただ、一度は、ヒマをもてあますという状況を体験し、ヒマつぶしという行動をやって、その幸せを味わってみたいと思う。

2007年1月 8日 (月)

ラジコンスピードボート

一度、本格的なプロポーショナルコントロール(比例制御)のラジコンを動かしてみたかった。というのも、子供の頃はラジコンは高価な模型で、高嶺の花、とても小遣いで手の出る様なものではなかったからだ。
鉄道模型も高価なものではないか、と言われるかもしれないが、こちらは、車両一両単位なら、1ヶ月2ヶ月の小遣いをためれば何とかなった。動かさずとも飾っているだけで十分だったのだ。
けれど、そのころはラジコンはエンジン付きの飛行機のモデルなどが大半だったので、とにかく初期投資が大きすぎた。大人のそれもかなり裕福な人の趣味だったのだ。
子供向けのプラモデルでは、リモートコントロールの戦車が一般的だった。モーターを2個使って左右のキャタピラを駆動する電動戦車を手もとのコントローラーで操縦する。リード線は4本ある。色の違うリード線を四つ編みにしたりして悦に入っていたものだった。それでも十分リモートコントロールの楽しさは経験できた。けれど、戦車と手元のリモコンがコードでつながっていることへの不満はどうしてもなくならなかった。
中学生の頃になって、子供向けに単純な押しボタン式の模型戦車用ラジコン装置のセットがそれなりの値段で売り出された。ボタンを1回押すと前進、2回押すと右旋回、3回押すと左旋回、4回目で後進、という風にコントロールする。そんなものでも、手にしたときはほんとうにうれしかった。無線で動く、ということだけで、感激してしまった。送信機と受信機を分解すると、複雑な部品が基盤に並んでいて、それを飽きずに見ていたものだ。これが、電波を送り出して、離れたところにある所に信号を送り、モーターを動かすということが、すごいことのように思った。
もちろん、プラモデル全盛期のことだ。だから、プラモデルの戦車はもちろん自分で組み立てて、受信機とコントローラーを組み込むことも自分で工夫して行う。それがまた楽しかった。説明書通りに組み立てるだけでは動かないというところに、大げさに言えば自分の創造性のようなものを感じていたのだろう。
高校生になった頃、タミヤ模型から、電動のラジオコントロールの車の模型が発売された。それは、プロポーショナルコントロールのレースカーで、一斉を風靡した。そういうものはその時代、画期的なものだった。今でも覚えている。スーパーカーブームの頃で、ポルシェやランボルギーニカウンタックなどがラインアップされていた。一大ブームとなって、あちこちでレース大会なども行われ、それが模型雑誌に華やかに掲載されていた。
手が出ない値段だったわけではない。試してみたくなかったかと言えば嘘になるけれど、そのころは、鉄道模型の方がうんと面白かった。レールを敷き、風景をつくることのほうが面白かったのだ。
それでも、いつかは、ラジオコントロールの模型を動かしてみたいという気持ちはなくならなかった。でも、どういうわけか、自動車模型にはあまり興味が無かった。レースというものがあまり面白く感じられなかったせいもあるし、フラットな地面の上を2次元的に動くというのが気に入らなかったせいかもしれない。どうせなら、飛行機かボートを試してみたかった。
その機会は、ずっとおとずれることはなかった。鉄道模型の方がうんと面白かったからである。鉄道模型とラジコンを比較して何になるのかともおもうが、きっと模型に割ける資金や模型を保管しておくスペースのことも意識にあったのだろう。また、屋外に模型を持ち出して遊ぶということの面白さを知らなかったせいかもしれない。
それが、先日、ネットを見ているときにたまたま、プロポーショナルコントロールの安価な電動スピードボートを見つけ、衝動的に購入してしまった。そのスピードボートは基本的にはラジコンのおもちゃだ。だからRTR(Ready To Run)の完成品で、電池をいれて、デカールを貼ったらそのまま遊べる。これは、正直言って、ちょっと抵抗があった。つくる楽しみが無いのだから。おもちゃと一緒だ。しかし、欲しいものは欲しい、それで、またこんど自作するときの参考にと苦しい言い訳をして決断した。
注文してとどくまで、なんとなくわくわくしてたりして、いいおっさんがなにやってだろうかと自分であきれたが、こんな感覚はひさしぶりだった。ネットや地図で走らせることが出来る池を探したりして、こういう楽しみもあるのかと、愉快になった。おそらくは、庭園鉄道を楽しむようになって、屋外で少し大きめの模型で遊ぶことに興味がわいてきたことも影響しているのだろう。
模型は宅急便で、金曜日の夜おそく届いた。でも土曜日は雨。送信機の電池を買うのと走らせられる池があるかどうか車で近くの公園まで確認に行っておしまい。走らせるのは日曜日まで待つことになった。
さて、待望の日曜日。しっかり寝坊して、9時過ぎに起床。いい天気だ。朝風呂に入り、残り湯で洗濯して、お昼前にボートを持って公園に出かけた。真冬なのに、なんと言う物好きかと自分でもあきれてしまう。
電池をつなぎ、送信機のアンテナを伸ばして、船を水に浮かべ、おそるおそるスティックを倒すと、あっさりと走ってしまった。そう出来ているのだから当たり前なのだが、無線操縦というのは本当に面白い。波のある水面ではコントロールが意外に難しかったりもして、それも楽しめる。ラジコンって、面白いものだとすなおに思った。
そろそろ電池が切れかけたかなというところで、水面に浮かんでいた松葉にスクリューが引っかかって止まってしまい、どうなることかと思ったが、なんとか岸まで持ってくることが出来て、初運転は終了。
しかし、電池は5分程度しか持たない。まだ充放電を繰り返していないので、本来の性能を発揮していないのだろう。ラジコンボートファンの方はきっといくつもスペアの電池を用意しているのか、それとも、公園に遊びにきてついでに少しボートを動かすという様な楽しみ方をしているのだろう。
ただ、こういう完成品を走らせているだけでは、やはり模型好きの満足感はない。やっぱり自分で工夫してすべてを自作したいと思う。それなら、鉄道模型に劣らず、面白いことだろう。これで、ライブスチームなどだったらもっと面白いんだろうな、とその方面のモデルを楽しんでいる方々の気持ちがちょっとわかる様な気がした。

2007年1月 7日 (日)

ホワイトカラー・エグゼンプション

最近やっと本格的に話題になってきているホワイトカラー・エグゼンプションだが、その日本語的解釈がおもしろい。曰く「残業代ゼロ制度」。どれだけ働いても残業代は一切支払われることなく、長時間労働を加速する、とのこと。
本来のホワイトカラー・エグゼンプションの考え方は、決してそうではない。簡単に言うと「年収など一定の要件を満たす管理職一歩手前の企画、研究職などホワイトカラー労働者を対象に、本人の裁量で、繁忙期には連続24時間働き、そうでない時は1時間勤務も可能になる一方、どれだけ働いても残業代は支払われない」という制度だ。
こういうことを言うと、総スカンを食うかもしれないが、このホワイトカラー・エグゼンプションを導入して、なにか現状と変わるところがあるのだろうか? 今でも残業代は出ない。職場には長時間のサービス残業という実態が浸透している。それが会社の文化なのだ。
だから、ホワイトカラー・エグゼンプションになろうがなるまいが、自分にはほとんど関係がない。「本人の裁量でどういう働き方をしてもよい」と明文化されることで、サービス残業をしなくても良い可能性が高まるだけまだましのように思える感覚は、間違っているだろうか?
今のシステムは、どんなに効率的に仕事をこなしても、朝早く出勤して雑務が押し寄せてこないうちに重要な案件を処理しても、それは自分が勝手にやっていることだから、もともと残業とは認められていない。さらに、終業時刻以後に夜遅くまで居残って机の前で作業を続けることが、その個人のやる気を測る尺度となる。効率性など全く関係がない。
だから会社は当然のように残業代を支払わない。あるのは、皆がお互いの顔色をうかがいながら、出る杭は打たれないように、同じように効率悪くサービス残業を行うという悪慣習のみ。働く側にとっても、雇う側にとっても、良いことなど一つもない。それが現在のたいていのホワイトカラーの職場に見られる実態ではないか。
リストラ、という言葉の日本語的解釈は「首切り」だった。本来の組織の再編の手段の一つにしか過ぎなかったことが、メインになってしまった。もちろん、寄生虫のような社員を追放するというプラス面もあったにはちがいないが、その偏った手法の間違いは明らかだった。だから、本当の意味でのリストラは、ほとんどの会社では成功しなかった。成功したように見えても、今後の発展の可能性など全く考えていなかったから、本当の組織再編を実行した会社とそうでなかった会社との差は、今になって明らかになりつつある。
だから、今回のホワイトカラー・エグゼンプションについて、巷でここまで危機感を持って語られているのは、本来の制度の一部分である「残業代ゼロ」だけがメインになって、「本人裁量による働き方」の方が無視される事になってしまうということを、問題にしているのだろう。
もともとホワイトカラー・エグゼンプションという考え方は、その報酬が時間ではなくて仕事の量と質によって決定されることが前提となっている。それを明確にしないでおいて、「本人裁量による働き方」という考え方は出てこない。一番問題なのは、今の会社の経営側と働く側に、この共通認識が無いことだろう。
現在、成果主義がほぼ破綻しているのも同じ理由による。成果というのは、仕事の困難さによってその達成度合いが変わる。そのことを無視して、達成度合いのみを成果としたなら、困難な仕事を与えられた優秀な人間は働きに見合った報酬を得ることは出来ない。そんな制度がうまくいくはずがないのは自明のことだったはずだ。
報酬の尺度として計測しなければならないのは、仕事の量と質であって、成果としての達成度はそれを補完するものでなければならない。その仕組みをしっかりと明文化することが出来れば、ホワイトカラー・エグゼンプションという考え方は、大いに結構な事ではないか。
たしかに、一部の人々が危惧するように、サービス残業の強制解禁と取る会社や経営者がいるかもしれない。しかし、それをやってしまったら、その会社側に未来は無い。
強硬なリストラの結果、アルバイトやパートに頼ってきた現場の体制は崩れようとしているのだ。もともとパートやアルバイトは会社には定着しない。条件が悪ければ、良い条件を提示する別の会社に簡単に移動する。移動してもなんのデメリットもない。
仕事の量と質と成功の達成度のみによる報酬という考え方に基づいた制度が、本当に明文化されて定着したら、正社員であろうとその立場はパートやアルバイトと同じになる。年功序列などという仕組みはなくなり、どの会社でも報酬を決定する基本的条件は共通化される。同じ会社にしがみつくことによるメリットは無くなるのだ。
そうなれば、ホワイトカラー・エグゼンプションという建前とは裏腹に、会社文化として結果的に「自由裁量による働き方」を認めず、さらにその対価も支払わないような会社からは、優秀な人間はあっさりと逃げていくだろう。その先は見えている。人材をフェアに処遇する会社だけが生き残って行くに違いない。
だから、ホワイトカラー・エグゼンプションが、本来の意味で導入されるなら、なにも恐れることはないのではないか。今現在行っている非効率なサービス残業を切り上げる口実が出来るだけでもありがたい。
もちろん、一部の能力のない寄生虫のような人間の場合はいままで不正に得ていた利得や権利を失うという意味でいろいろと不満があるに違いない。しかし、普通の能力のある人間にはたいしたデメリットはない。とにかく現在の不合理で非効率かつ正当な報酬を得られない働き方よりも状況が悪くなることはないのだから。

追記:
この戯言は、あくまでも自分の(かつての)職場環境と働き方を前提に展開したものです。ちゃんと残業代を満額支払っていただいてかつ標準的な勤務時間が保証される職場の方には、このような考え方は理解していただけないでしょうことは予想しています。
「そう思うお前が、長時間サービス残業を強要する会社に対して改善を求める様、立ち上がるべきだ。お前は何をしている」などという、逃げ切ることが確実にできる安全地帯にいながら、昔革命的だったころの思い出に浸り無責任かつ身勝手な暴言誹謗中傷糾弾に自己陶酔する団塊世代タイプの馬鹿はこの際相手にしませんのであしからず。

2007年1月 6日 (土)

キーホルダー型認め印ケース

出勤簿、届け物の受け取りなど、認め印を押す機会は毎日のようにある。そのたびにバッグから印鑑入れを取り出して開いていては、手間も大変だ。うっかり取り落とす危険もあるし、朱肉の汚れも気になる。
毎朝、出勤簿に押印するために三文判を取り出すのがうっとおしくてならない。タイムカードにしてくれれば、うんと楽なのだけれど、うちの会社は未だにこの旧式のシステムを採用している。サービス残業隠しにはもってこいのシステムだから、これを変える気なんてさらさら無い。だから、なんとかこの認め印の扱いを楽に出来ないかと考えた。
もちろんシャチハタネームやカード式の印鑑などを使う手もあるが、そんな個性のない画一的な既製品や特殊な製品じゃなく、ごく普通の安価な三文判を使いたい。三文判といえどいろいろと印象はあるわけで、当然お気に入りのものが存在する。
というわけで、30秒ほど考えて工夫したのは、三文判のおしりに穴を開けてリングをつけ、紙の筒でこしらえたキャップをかぶせてキーホルダーにすることだった。もちろん、キャップの奥には朱肉を含ませたスポンジを詰め込んであるから、キャップをはずせばそのままポンとハンコが押せる。
これがなかなか快適に使えている。なんと言っても常にキーホルダーとしてポケットに入っているというのがいい。筒は紙製なので金属製の鍵とこすれてすぐに傷んでくるのがちょっと困るが、壊れてきてもまた簡単に作り直せる。
今使っているものは、紙筒にシェラックニスをしみこませて丈夫にしたもので、柿渋を塗ったようにも見えて、それなりにかっこいい。
そこで、これをもう少しおしゃれにしたキーホルダー型の三文判ケースが出来ないだろうかと考えた。
もちろん三文判はそのまま加工せずに使う。幸いなことにたいがいの三文判はほぼ径が同じだ。その三文判の径にほぼぴったり合う茶筒のような構造のケースをつくり、印鑑を納める。茶筒の蓋の中には当然朱肉を仕込んでおく。蓋を取れば、そのまま印鑑が押せるというわけだ。ただ、印鑑がケースから簡単に抜けないように内側にクッション材を貼るなどの工夫が必要になるだろう。
全体がケースに覆われるので、ケースの表面に様々な装飾を施すことも出来る。千代紙張りなんてのもいいだろう。チベット地方には馬の毛の織物を芯にした弾力のある薄手の漆器がある。そのような材質で蒔絵の装飾などという工芸品風のバージョンもいけるかもしない。
キーホルダーにするためのストラップを通すリングをキャップ側につけるか、本体側につけるかは好みもあるだろうから、できればどちらがわにもつけられるようなデザインが良いと思う。
もちろん、はじめからキャップ付きの印鑑を作ればいいじゃないかという考えもある。ただ、今使っている三文判や気に入った字体の三文判をそのまま使えるというのが、このアイデアのミソというところだろうか。
などと、考えていたら、先日デパートの文具売り場で、三文判をシャチハタネームのように使うためのケースが売られていた。手に持って紙に押しつけると、先端のキャップがくるりと回転するようにずれ、中に納められた印鑑が繰り出されて押印するように出来ている。かなり複雑な構造をしているので、ケースの径は太いし、透明プラスチックの材質がむき出しの、いかにも機械機械した事務用品的な形態はどうかと思う。しかし、このような製品が商品化されているということは、自分のお気に入りの三文判を便利に使いたいという需要があるということだ。自分の発想がまんざらでもないことを確認したような気持ちになって、少しだけうれしくなった。
この製品に足りないのは、美的感覚だ。むかしの人は印籠に装飾を施したり、財布やたばこ入れの根付けとして凝った彫り物を使ってみたり、ちょっとした身の回りの小物の形や色柄、文様に趣向を凝らすなど、さまざまな工夫をしていた。そうやって、生活や仕事の中に、美的喜びを見いだしていたのだと思う。彼らの生活にはその余裕があったのだとも言える。
現代の社会の中でも、こういう小さな文具に美的センスのあるデザインをほどこして、仕事や生活の場面の中で、ほっと一息つくような、ささやかな贅沢を大事にしたいものだと思う。

2007年1月 5日 (金)

ふるさとで迎える年末年始

新聞やニュースで毎年、「年末年始をふるさとや行楽地で過ごした人たちのUターンラッシュが3日、ピークを迎えた。このラッシュは4日まで続く」という記事が報道される。最近はこの「ふるさと」のウェイトが78パーセントくらいに落ちてきたような気がする。ちなみに78パーセントという数字には何の根拠もない。このあたりの数字がなんとなく適当かなと言うだけの話である。
ちょっと前までは、「年末年始をふるさとで過ごした人たち」という表現が普通だった。それで何の疑問も抱かなかった。ところが最近はこれに、「行楽地」が加わった。これまでは、「行楽地」で年末年始をすごす、などというと世間様に申し訳ない雰囲気がそこはかとなく漂っていたように思うが、今は大手を振って「行楽地」に出かけるようになった。そのことを誇らしげに報道できるようになったのだと思う。
報道する側の中心となる世代が、団塊世代に代表されるような田舎から出てきた人間達ではなくて、最初から都会育ちである世代になってきたことも影響しているのではないだろうか。
だいたいにおいて、「ふるさと」なんてもののイメージからして、かなり胡散臭い。たいていは、「兎追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川」に代表されるステレオタイプなイメージで、こんな体験や風景を幼少時に経験している若い世代はいったいどれだけいるのだろうかと疑問に感じる。
この、絵に描いたようなノスタルジックな「ふるさと」のイメージは、高度経済成長期に田舎から労働力として都会に集団就職してきた団塊世代、金の卵達が持っていたイメージであって、彼らが一時期、社会の中心となる世代の多数を占めたが故に、大多数の日本人の情緒に一般常識的なものとして刷り込まれてしまったに過ぎないと思う。
実際、自分は団塊のすぐ下の世代に当たるけれど、古い門前宿場町から発展した中規模都市の商店街の中で育った。だから、廻りには山も川もない。あるのは町屋と商店。遊び場は神社の境内や国鉄駅の構内、つぶれた紡績工場跡の空き地や瓦工場の資材置き場などだった。たしかに神社の境内の池やすこし郊外にあるため池などでフナを釣ったりもしたけれど、「ふるさと」のイメージにあるようなのどかな風景など、今思い起こしてもどこにもない。それでも「ふるさと」の歌は、愛唱していた。それは小学校で音楽の時間に習って、歌ったからだ。だから、自分自身のふるさととはなんの関係もない。あの歌は。架空の「ふるさと」の歌として認識していた。いまでもその感覚はかわらない。
だから、世の中こぞって、日本人の「原風景」である「ふるさと」の田園風景を保全しなければならない、なんて運動がもてはやされてニュースや記事になったりするのがどうしても理解できない。
ついでに言っておくが、この「原風景」という言葉の使い方は間違っている。「原風景」というのは、本来は心理学関係の用語で、心象風景、つまり意識に浮かんだ姿や像のなかで、原体験を想起させるイメージという意味だ。だから、幼少時の両親の別離による寂寞感と孤独が彼の原風景として存在している、という風に使う。ふるさとの田園風景が「原風景」なんて言い方はあきらかにおかしいのだ。なのに、最近はこの間違った用法がデファクトスタンダードとして定着してしまった。
そもそもは、基礎教養の無いどこかの政治家か有識者といわれるエライさんが、新しく小耳に挟んだ言葉を自己解釈で誤用したのを、これまた無教養で不勉強なマスコミ記者が記事にしたことが始まりだった。その後、何度かその誤用について話題になったことがあったように記憶しているけれど、政治家や有識者におもね、自らのミスを認めないマスコミがしつこく使い続けたために、うやむやになってしまった。一般に流布してしまった言葉の誤用の代表的なものともいえるのだが、様々な若者言葉を日本語の乱れと叩くマスコミや有識者が、この誤用にだけは寛容なのがまた興味深いところでもある。きっと自分たちから発生した誤用だから非難糾弾すると天につばすることになるということなのだろう。
「ふるさと」の話に戻る。
最初に触れたように、日本人のイメージとして定着している「ふるさと」というのは、田舎から出てきた団塊世代に寄って形作られたものだ。しかし、団塊世代の家族のうち、その「ふるさと」のイメージを維持しているのはどれくらいいるのだろう。
もちろん、「ふるさと」というからには、その土地から離れて都会なり別の土地で暮らしていることが前提になる。「ふるさとは、遠きにありて想うもの」(室尾犀星)というではないか。だからこその「ふるさと」なのであって、そもそも田園風景の土地に住んでいる家族はその土地をわざわざ特別にその土地を普遍的イメージに近い「ふるさと」などとは意識しないものだ。
田園風景なんてものは、本当はそんなにのどかなものではない。その証拠に、田舎に行くほど、野山や河に興味を持ったり遊んだりする子供は減る。移動も徹底的に車に頼るようになる。農作業は機械作業と薬剤散布がメインになる。
だから、そういうところに住む家族は除外するとして、田舎から都会に出てきている人間、典型的には団塊世代の場合を想定する。この場合、長男ならば家を継ぐという感覚があるから、「ふるさと」イコール田舎の実家ということになる。けれどもそれは彼らの親が健在で実家が「現役」として存在している間だけだろう。都会に出てきた団塊世代の家庭は実家とは離れ、都会で独立した生活を持っている。だから、その子供達はすでに親の「ふるさと」は、普遍的なイメージとしての象徴的「ふるさと」でしかない。親の実家で、休暇を過ごした経験はあるかもしれないが、それは彼らの人生や生活の基底に息づくものになりようがないはずだ。彼らの基盤は彼らが幼少時から青年期までの成長の過程で様々な経験をした都会にある。このような世代に対して、旧態依然の田園風景を普遍的イメージとした「ふるさと」感を押しつけても何の意味もないだろう。
自分自身、「日本人の原風景である田園と里山のふるさとの風景」が、なぜそんなに大事なのかさっぱりわからないせいもある。そんなものは、ちっとも大事じゃない。大事なのは、現在その土地で生きている人間の生活のはずだし、その生活活動の結果として田園風景が維持されるということだ。
最近の「ふるさと」保全の運動には、なにかしら根本的なところで無理がある。必然性のないノスタルジアだけで、「美しいふるさと」を維持するために、法外な費用と労力をかけることなど、どう考えても不合理だ。
そういうことを叫ぶ人間達は、情緒だけでものを言っているに過ぎない。いわゆる美しい田園風景を日本の景観の一つとして残したいのなら、確とした存在理由と維持するための経済的な収支を客観的、理性的な目で分析して、判断しなければならないと思う。
その「美しい日本のふるさと」を観光資源として利用しようというなら別だけれど、いまでは、ノスタルジアの中にある「日本の原風景であるふるさと」なんてものは、都会に住む一般人の社会生活の中では贅沢品、奢侈品、あるいはまったくの不要品か意識の外にある存在でしかないのだから。

2007年1月 4日 (木)

水虫再発

大晦日、なんだか右足の薬指と小指の間がかゆいと思って、靴下を脱いで観察したら、指の間の皮がふやけて剥けて、赤い真皮が見えていた。水虫の再発だ。
潜伏していた水虫菌が復活したのかなと思ったが、通常の健康状態なら、免疫力もあるしそう簡単には再発するはずがない。それに、以前に治療したのはもう2年ほど前のこと。あのときはまじめに抗真菌性の軟膏を塗って完全に治療したはずだから、これは新たに感染したものに違いない。それにしても、こんなに急にひどくなると言うのは、年末からあんまり体調が良くなかったので、それが影響したのだろう。もともと基礎体力がある方ではないので、この手の感染症には弱いのだ。
水虫というのは、ご存じ白癬菌が足などの皮膚、特に角質に感染して起こす病気だ。一番ポピュラーなのは足の指の間に感染してひどいかゆみを起こす。感染先はなにも足ばかりではない。調べてみたら、感染した部位によって病気の名前がちがうということがわかった。
・足に感染した場合:足水虫(足白癬)
・爪に感染した場合:爪水虫(爪白癬)
・頭部に感染した場合:シラクモ(頭部白癬)
・体部に感染した場合:ゼニタムシ(体部白癬)
・手に感染した場合:手水虫(手白癬)
・股部に感染した場合:インキンタムシ(股部白癬)
なんとまあ、シラクモやインキンタムシも白癬菌の感染症だと知って、ちょっとびっくりした。ということは、足の水虫の患部をいじった手で頭を掻いたり股を掻いたりしたら、シラクモやインキンタムシになってしまうのだろうか?
インキンタムシなんて、最近はほとんど聞かないように思う。でも、昔はわりに普通にある感染症だった。学生の頃、寮生活をしている友人や体育系のクラブの友人など、よくインキンタムシの話をしていた。だいたいが風呂など適当にしか入ってないので、不潔さが一番の原因だったのだろう。
最初にこの病気の名前を知ったのは、松本零士の漫画「おとこおいどん」でだったとおもう。たしか、治療するのにヨーチンかインキンタムシの薬を塗って、太陽に当てるのが一番ということで、その光景の描写がなかなか強烈な印象だった。おまけに、おいどんの知り合いの女性もインキンタムシで、日が差し込む窓に向かって同じように治療に励んでいるところなどもあって、そうか、女性もやっぱりインキンタムシにはなるのか、と妙に感心した覚えがある。
それはともかく、今回の水虫再発は、昨年中にどこかでもらってきたものに違いないので、感染経路を推測してみることにした。
たしか、秋頃に地元の温泉に行ったのは記憶している。あのとき浴場の出入り口に置かれたマットがやたらと濡れていたので、水虫が感染してはいかんと、わざわざマットを踏まずに着替えを入れたロッカーまでつま先立ちで行ったはずだ。なんであんな所にマットが置かれているのか。水虫を感染させようという陰謀としか思えない。
しかし、資料を読むと、白癬菌は感染者の皮膚の垢がはがれ落ちたものにくっついているので、マットだけでなく、脱衣場の板の間に普通に飛び散っているとのこと。これではどうしようもない。でも、このあとほぼ1ヶ月間、何事もなく発症もなかったから、このときに暴露した白癬菌はなんとか感染せずに済んだのだと思う。
もうひとつの可能性は、12月の末に大腸内視鏡検査を受けたときのことだ。あのときは、検査衣の下は裸になり靴下も脱いで備え付けのスリッパを履かなければならなかった。そのスリッパが、ふかふかした布製のものだった。あれがいけなかったのだと思う。よく考えてみたら、検査衣とちがって、備え付けのスリッパは毎回クリーニングするなんてことはしないはずだ。病院の検査でのことだからと油断していたのが悪かったのだ。それでも体調が良ければ、こんなに急激に感染が発症することもなかっただろうから、タイミングが悪かったのだと思う。
治療に行った病院で、様々な感染症をもらって来るというのは、よく伝え聞くことだが、自分で本当にそんな目に遭ったのはこれが初めてだ。感染したのが水虫程度で良かったとも言えるが、やっかいなことには代わりはない。
本来、病院ではこういうところまでしっかりと滅菌しておくべきだと思うのだが、実態はどうなのだろうか。特に老人介護施設などでは、利用者の免疫力が低下しているだろうし、介護するスタッフも同様に、このようなトラブルにはより一層敏感になって注意しなければならない事だろうと思う。
さて、水虫の治療は、本当はまず皮膚科に行って、それが本当に白癬菌の感染かどうか確認してもらわないといけない。よく似た症状でも白癬菌ではないこともあるそうで、市販の薬などを自分の判断で使っているとかえって症状を悪化させることもあるそうだ。また、白癬菌にもいろいろと種類があるとのことで、効く薬も違う。白癬菌の有無や種類は患部からサンプルを取って顕微鏡で見ないとわからない。だから、外見をみて水虫だというような医者は信用してはいけない。
だが、今回は、年末年始の休暇中なので、医者も開いていないし、薬もない。しかたなく、自宅の薬箱にあったヨードチンキを塗りたくって様子を見ることにし、単身赴任先以前に帰ってから、以前に治療したときの抗真菌軟膏の残りを見つけ出して塗ることにした。これで、しばらく様子をみて、症状が改善しなければ皮膚科へ行くことにする。
この年末年始、自分でも呆れるくらいごろごろ出来たのは、やっぱり体力的に消耗していたからなのだろうと、水虫の再発という事件を理由にして勝手に納得している。

2007年1月 3日 (水)

なにもしないこと

今年の年末年始は、何もしないでゴロゴロしていた。
ほんとうになにもしなかった、というと、それは生活しているのだから、何もしないでは生きていけないので、比喩としていっているだけだが、ほんとうにこれといってイベント的なことは何もしなかった。
あえていうなら、例年通り、大晦日から元旦にかけて、近くの神社に初詣をしたことだろうか。去年は越してきたばかりで、物珍しさも手伝ったのか、12時よりかなり前に神社に着き、沢山の参拝者の列にまじって参道の石段の中腹でカウントダウンして新年を迎えたが、今年は新年になってからの参拝だった。
去年息子の合格祈願に買った破魔矢も返納するはずだったのに、あんまり立派な破魔矢なのでもったいないといって、もう一年置いておくことにしたりもして、なんとなく所帯染みてきた様な新年だった。
びしっとした気持ちにならなかったのは、去年と違ってあまり寒くなかったせいもある。新年の初詣は、身を切る様な寒さの中でないと気分が出ないのだ。ボーイスカウトの少年達が振る舞ってくれるお神酒や甘酒をいただいても、寒さが足りないのでありがたみが薄く感じてしまう。我ながら不信心この上ない。
そういえば、去年と同じように5円玉の福銭をいただいたけれど、去年いただいた福銭はどうすれば良いのだろう。絵馬やお守りと同じ扱いで一年経ったら返納すべきなのだろうか。そもそも福銭のご利益というのはどういうものなのか、ちっとも知らないで財布に入れていること自体、よくないのだが、まあこれも、日本人独特の八百万の神をおおらかに信じているということで、納得してしまうことにした。5円玉を返納するかどうかは、こんどじっくりしらべてみよう。
ああそうだ、年末に息子とスーパーエッシャー展に行ったのを忘れていた。わすれるくらいだから、たいしたことは無かったのかというと、そうではない。エッシャーは、昔から大好きなアーティストの一人で、学生の頃に彼の作品の複製ポスターを何枚も集めた。それは、いまでも壁に飾ってあるものもあるし、大事にしまい込んでいるものもある。そのころそういうポスターは1枚4、5千円もした。三十年も前でこの値段だから今の感覚では1枚1万円近くする勘定になると思う。よくもまあ、そんなに高いものを、といまになってあきれている。がそのときはよほど気に入って、自分としてはぜひとも買う価値があるものだったのだろう。自分の若い時代の感覚というのを懐かしく思い出した。
いまでは、この手のポスターは求める人が多くなったせいもあるのだろうか、うんと安くなった。おかげで、エッシャーの作品はそこここで普通に見られるようになって、希少性もなくなってしまったし、なんとなく残念なような気もするけれど、自分の息子の様な年齢の人間がこのような作品を身近に感じることが出来るというのは、意味のあることなのだろう。
というわけで、今年の年末年始は、エッシャー展と初詣だけでおわってしまった。もちろん、家族の初買物にもつきあったけれど、そのほかは、ひたすらごろごろテレビをみているか、ねことあそんでいるか、うとうとと眠りこけているか、というほとんど老人並みの生活だった。などというと老人にしかられるかもしれないけれど、この、老人並みの生活というのは、よく考えるととても贅沢なのではないかと思う。
なにしろ、やらなければならないことが無いのだ。せっぱつまったり、追い立てられたりすることが無い。こんなすばらしい贅沢はもうほかにはほとんど考えられない。
だから、なにもしないでゴロゴロしている、というのは、怠け者で自堕落な人間だとか、世間様に顔向けできないとかいうような罪悪感を感じる必要性は、まったくないのだ。純粋にこの境涯を喜ばなければ行けないのだと思う。どうせ、あしたから、またいそがしく仕事に追われる日々が始まる。
正月に放送されていたニュースによると今年定年を迎える団塊の世代は、経済的な必要性からではなく、定年後も働きたいという希望が多いらしい。一体何を考えているのだろうか。そういうひとの感覚は自分にはよくわからない。自分の職場でも、定年後の再雇用制度というものがあるが、ここに希望する人たちは、例外無く無能なくせに要求や権利主張だけは一人前の使えない人間だ。もう少し働いてほしい方は、これまた例外無くさっさと職場を離れてしまう。慰留してもなかなか応じてくれない。
だから、定年後も経済的必要性に関わらず働きたいという人間は、まず使えない人間ばかりだと思ってよい。ニュースで報道されている、やる気のある団塊定年、というのは、定年後も会社や組織にしがみついて現役に寄生しようとしている害虫ばかりなのではないかと思う。
新年から、またまた、こういう憂鬱な事柄に思いが至ってしまった。今年の課題は、この案件にならないようにしたいとこころから思っているが、これが新年の抱負だとしたら、ちょっとばかりなさけない。

2007年1月 2日 (火)

1月2日の夢(初夢)

いきなり特別な植物を育てるのに、必要な栄養素と水に付いてアドバイスを求められた。
その植物は、この星のものではなく、繊細なレースのような葉をしていてとても弱く、ここまで宇宙船の酸素プラントを兼ねたグリーンルームの片隅において、なんとかもってきたのだが、弱り方がひどい。。
原産の星では、麻薬に近いような特別な薬草として栽培されるもので、その効用はとてつもなく貴重なので、ぜひここでも栽培したいのだという。生態系かく乱の恐れや、帰省中、害虫の危険はいっさいないことが証明されているらしいので、協力することにした。
問題はどうやら水らしい。その星から持ってきた水ではなくて、地球の水を与えると、急に元気を失ってしまうのだ。その星はとてもミネラルに乏しい。というより、地中に存在するミネラルがキレートの形で固定されていて溶出しない。だから、存在する水は蒸留水の様な純粋な水になる。これが一番問題だと推測した。
しかし、水を分析しても、ミネラルらしいものは見つからない。しかし、口に含むと、明らかに独特の味がする。味というより、何かの香料を口に含んだ様なそんな感じだ。それが何かわからない。
頭を抱えた。ガラスでつくられた様々な器具や複雑な測定器が並ぶ実験室の片隅のテーブルで、お茶を飲みながら、真剣に話し合いが続いていた。

場面が変わって、どこかの星で、異星人の格闘技を見ている。どうやらその星域でおこなわれる、何年かに一度の大会のようだ。オリンピックの様なものなのかもしれない。もちろんこの大会が開かれている間は、戦争は休止となるらしい。
各星から代表の選手が送り出され、トーナメントで試合がすすんでいく。この勝利者がどんな意味を持っているのかそのときはまだわからなかった。
試合がすすみ、決勝戦になると、俄然雰囲気が変わってきた。隣にいた観客に聞くと、紺地にイラストと黄色い文字で描かれたパンフレットを見せてくれた。星域以外からの観客にもこの大会の意義を理解してもらうためのものらしい。
パンフを読むと、トーナメント戦で勝ち残った選手が、coeur de pierre (石の心)を持つものとcoeur de pierreの受容体を持つものであった場合、coeur de pierreを持つものが勝つと、融合して新しい生命体に変化するということらしい。つまり、新しい種族がこの大会によって生まれでるという、たいへんなセレモニーでもあるらしい。
決勝に残ったのは、岩石でできたような巨人と、全身がキャタピラのようなものにおおわれた生物だった。どちらも大変に知能が高い種族で、幸運なことに巨人は、coeur de pierre (石の心)を持つもの、キャタピラ生物はcoeur de pierreの受容体を持つものだった。観客の興奮は、期待とともに最高潮に達していた。
最初は巨人が不利で、かなりの苦戦を強いられていたが、とちゅうから、何がおこったのか、キャタピラが横倒しになって、皮膚が破れてイクラの卵のようなものが出てきた。キャタピラが力つきて、巨人の勝ちとなったようだ。
観客の歓声が一瞬にして静まった。これから、神聖な種族誕生の過程が始まるのだ。見ていると、キャタピラが出したいくらの卵の様なものの中に、巨人の体が分解されて入り込んでいく。そうして、キャタピラのもとの肢体が分解変化し、芋虫の様な不気味な動きを続けた後、その芋虫が紫に光りだした。観客は息をのんでその様子を見つめている。10分ほどの後、芋虫の革は固くなり、さなぎがわれるように背中が開き、そのなかから粘液にまみれて光り輝く人の赤ん坊の様な体が出てくるのが見えた。
スターチャイルドの誕生だ。これで、この星域に新しい種族が誕生した。あらたな分類が必要になった。

また、場面が変わって、熱帯地方の家にいる。アマチュア研究家があつまって、雑談をしているらしい。話題は、近くの池に沢山生息している、マコモの話だ。こんなところに、山の中の池にマコモなんてあるわけが無いのだが、彼らはそう信じきっているらしい。
マコモの和名はリュウキュウノオトヒメノモトユイノキリハズシ、日本で一番長い名前のはずだ。それにマコモは海や汽水域に生えるものだ。だからぜったいに、違う植物だというと、じゃ、それを同定してくれという。
アマチュア研究家達は口々にその特徴を説明するのだが、聞いた話だけでは判らない。業を煮やした一人が池まで行って、サンプルを取ってきた。小さな鋸歯のある葉の複葉。ぬれてひかっている。水からあげても葉柄がしっかりしているので、開いた形を保っていた。
全体には芹の様にみえるが、芹とはちがう。一緒に芹もはえているのだから、違いはわかると彼らは言う。クレソンみたいにも見える。だが、クレソンはもっと葉と茎がくしゃくしゃとしている。どちらにしろマコモではない
そういっても、しんじてくれない。しかたなく、とにかく手元にある図鑑を出して、池の植物のページをさがした。
私よりアマチュア研究家達の方がこういうことには慣れているらしい。かれらが自分たちの手持ちの図鑑からその植物のイラストを見つけた。カラー版の図鑑にイラストがあった。
それはマコモではなく、やはり芹のなかまだったようだ。記述によると、小魚のナーセリーとして有用らしい。
なるほどと、みんなで納得したところで目がさめた。

2007年1月 1日 (月)

新年の意味

今日は元旦。新年の始まりの日だ。
だからといって、別に変わったことも無く、日は沈み、日は昇る。ちょっとだけいつもと違うのは、年末年始の休みであるということと、夜中に初詣と称して近所の神社にお参りに行ったことだけ。
でも、これが大事なのだ。にんげん、ずっと同じ調子で生きていると、だんだんと「慣れ」がでてくる。刺激がなくなってくるのだ。そうすると、当然のことながら生活に驚きも無くなるし、きめ細やかさもなくなって、精神の働きが衰えてくる。
転勤族なので、引っ越した当初、まわりがみな新鮮に感じる。引っ越した部屋の音の響きのことはいつか触れたことがあるけれど、住まいの周りの風景一つにしても、すべてが目新しい。毎朝聞こえる鶏の時を告げる声なども、最初の頃はあんなに新鮮で気になったものなのに、1年も過ぎると、鳴いていることさえ気がつかなくなる。
仕事も同じだ。最初の1年はすべてが新鮮だ。初めて経験することが多い、というより、新しい職場の人間もふくめて、すべてが新しく経験することになる。ずっとその職場にいる人から見たら、あたりまえのことで、なんでそんなことを問題にしたり、処理をするのに苦労したりするのかと思われることも多いけれど、その刺激が職場に新たな感性をもたらして、仕事の進め方を変え、思わぬ効果を生むことだってある。
慣れるということには、生活や仕事がルーチン化して楽になるという効果のほかに、感性を鈍らせるというマイナスの効果もある。どちらかというと、そのマイナスの効果の方が問題ではないか。年齢を重ねるに従って、そういうことを考えるようになった。
若い頃は、なにもかもが初めてのことだ。だからすべてが新鮮で、経験することすべてが自分に新しく入ってくるものとなる。入ってくる情報量、意識して処理しなければならない情報量が、年齢を取ってからとは全く違う。だから、生きている時間をとても長く感じる。年齢をとって、時間が経つのが早くなったと感じるのは、既に経験したことが多くなって、意識しないでもその情報を処理できるため、自分が能動的に関わった精神活動が少なくなっていることに関係しているのではないか。それは、人生を自分の思うように生きたいと思っている人間には、あまり望ましいことではない。
社会的にも、人間が暮らしていく上で、生活への慣れのなかでなにかしら新しい新鮮な刺激を得る機会を、積極的につくっていくことが必要だ。だから正月や節句、その他の季節のイベントは、社会的に人々の生活をリセットして、新鮮な刺激を取り戻すための仕組みとして存在しているのではないかと思う。
特に正月というのは、おもしろいくらいに、リセットの機能がある。仕事をしていたり、学校にいってたりしたら、普通は4月が年度の始まりになる。だから、正月元旦は、自分が属している社会共同体のサイクルは、ほとんど何の意味もないはずだ。なのに、正月は家族や地域社会、そして個人の人生、生活の上で、とても大きな意味合いを持っている。年の変わり目、という意識。新たな年を迎えるという感覚。これが生活に、リセット感をもたらしてくれる。
普段神など信じているわけでもない人間が、神社に行って、お賽銭をあげ、柏手をうち、お神酒をいただき、新年独特の改まった、華やいだ気分を感じて、一本調子でつづく生活の中に新たにリズムを刻みなおすためのきっかけにする。
これはとてもよいシステムだと思う。日本の社会システムが用意してくれたこの仕組みをうまく利用しない手はない。今年は、いつもの新年にもまして、このリセット感を十分に意識して、新たな気持ちで生活を始めたい。
追記:
年の初めというと、どうしても、今年はこれをしよう、あれをしよう、と考える。今年はこれを逆方向からせめて見ようかと思っている。つまり、することを決めるのではなくて、今やっていることで、無駄なことをやめてみようと思う。加算ではなくて減算の考え方だ。
それでなくてもやらなければならないことが沢山ありすぎる。そして、情報量は増え、とても処理できない状況になって、生活は混乱し、感性はどんどんと鈍っていく。それを避けたい。
減算法でやらないことを決めて、そこに空きができれば、新しい事柄を始める余裕もできてこようと言うものだ。住まいのリノベーションと同じだ。今年は、やらないことを決めることで、精神のリノベーションを実現したいとおもう。
さしずめ、最初にやらないようにすべきことは、パソコンの前に長時間座って、意味もなく時間を過ごすことか。これがいま、一番自分に取っての人生のロスになっていることかもしれないと薄々気づいている様な気がしている。

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