指の怪我と楽天主義
指を切ってしまった。
お昼休みに事務所の裏山で藤蔓を採集しようとしたとき、のこぎりで左手の親指と人差し指を傷つけてしまった。のこぎりを持ち出すときに、これではツルのような柔らかいものを切るときにすべって怪我をするのではないかという思いが頭をよぎったのに、それを無視したのがいけなかった。
のこぎりにはかつて痛い目に遭っている。都市公園で開催されていた農林関係のお祭りで、丸太挽き体験コーナーがあった。山鋸で細めの間伐材を輪切りにし、これに焼き印を押してもらって、記念品にする。花托とか鍋敷きに利用できるので人気があった。これに挑戦したときに、どういうわけか手が滑って左手が鋸の刃にかかってしまった。あまり握りしめずに柔らかく手首が動くようにと意識したのがいけなかったのだろう。
瞬間痛みが走って、かなりの出血があった。タオルで押さえてある程度血が止まってから傷口をみると、のこぎりの刃が斜めに当たったのだろう左手の人差し指の付け根の部分に、3列に深い切れ込みが走り、中に白いものが見えていた。骨か腱のようだった。
こうなると、さすがに放っておくわけにはいかない。タクシーで最寄りの病院へ行って手当を受けた。行くまでに1時間近くかかり、そのあいだずっとタオルで傷口を押さえていたので、医者に診せたときには傷口はふさがっているように見えた。
切ってすぐに傷口を押しつけていると、一時的にくっつくことがあるという。それでも、白いものが見えていたことを言うと、念のためにと傷口を縫合することになった。指の動きから、腱が切れたりしていることはなかろうということで、手当はそれだけ。抗生物質を処方された。傷は特に問題なく治癒したけれど、いまでもはっきりと白い傷跡が残っている。
今回も、同じようなミスだった。柔らかくて吊り下がっている不安定なツルを左手でもって、のこぎりで切ろうとした。細いツルをのこぎりで切ること自体無理がある上に不安定に揺れ動く状態なのだから、のこぎりの刃が滑って当たり前だった。それをわかっていてやろうとしたのだから、自分でも恥ずかしい限りだ。手遅れになってから前回と同じように反省するというのが、愚か者の愚か者たるゆえんなのだろう。
若い者への教訓やビジネス指南書などに、ミスはどんどん犯して良い。しかし同じミスは絶対に繰り返すな。などという言葉がよく取り上げられている。こういう言葉が取り上げられる原因となる恰好の事例を、身を以て提供しているようなものだなと苦笑してしまった。
今回は押さえていた親指の先と人差し指の側面に刃が当たった。やっぱり斜めに当たったので3,4列に平行に刻み目が入るように傷が開いた。それほど深くはない。最初はあまり痛くもなかったが、しばらくして、血が豆粒のようにまるく盛り上がり、流れ始めると同時に、ぽたぽたと落ちて持っていた藤蔓や鋸の刃をぬらし始めた。血が出るまでの間がいやに長く感じたし、血が出てからは、これほどまで急に大量に出るものなのかと少々びっくりした。前回の経験はすっかり忘れてしまっていたらしい。しばしの間痛みも忘れて、血が流れる様子をじっと観察していたように思う。
しばらくして、やっと思いついて傷口を上に持ち上げ右手で指の付け根を締め付けて止血した。それから手の甲まで流れてきていた血を舐め取った。金臭い味がする。血の味だ。めったに味わうことがないはずの味だが、これほどはっきりと記憶している味もなかろうと思う。
おもしろいなと頭のなかで、水の表面に波紋をつくって持ち上がる泉のように愉快な気分がわき上がってるのが感じられる。その自分自身の行動と心の動きを振り返って、これが好奇心というものの現れ方なのか、とあらためて妙な納得の仕方をしながら事務所に戻り、石けんで血を洗い流し傷口をきれいにしてから、軟膏をぬって傷絆創膏を貼り付けた。
自慢じゃないが、救急パックと折りたたみ傘は普段から必ず鞄に入れている。よく怪我をするからとか、雨に降られやすいからとか、そういう問題ではない。こどものころ教会学校のボーイスカウトで学んだBe prepared(備えよ常に)を単純に実践しているだけだ。
自分のこの習慣に関しては、サー・チャーチルがこういうことを言っていたのを知ってうれしくなったことがある。
「私は生来の楽天主義者だ。ただしいつも傘を持ち歩くことをわすれないが。」
正確な英文は覚えていないが、たしかこんな意味だった。
私も自分のことを基本的には楽天家だと思っている。ただ、いつも準備を忘れないというのは楽天主義を標榜するにあたっての必要条件だと信じている。チャーチルの言葉はまさに我が意を得たりだった。
しかし、ネットで探してみても、この原文がみつからない。この言葉、たしか10年ほど前のNHKラジオビジネス英会話で出てきた引用句で覚えたものだ。そのうち確かめてみたいが、まだテキストは保存してあるだろうか。自宅に帰ったら、押し入れをひっくり返してみなければならない。
親指の傷テープには少しだけしか血がにじんでいない。どうやら出血はとまったようだ。左手で助かった。それにタイプを打つには親指はほとんど使わないことに、気がついた。これも今回の怪我の功名だ。トラブルがおこっても、いろいろとそこから学ぶことがある。そう考えていれば失敗なんていう現象はこの世には存在しない。
楽天主義というのはこういう考え方をいうのかなと、タイプを打ちながら考えた。どうせなら、この思考スタイルで人生を最初から最後まで生きていきたいと思うが、それができるかできないか、それこそが真の楽天主義者であるかどうかということの分かれ目なのだろう。


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